国境線という幻想

 北陸中日新聞朝刊の紙面「こちら特報部」左上に「本音のコラム」というコーナーがある。そこで金曜日担当の佐藤優氏が先週21日に北方領土問題に関し現実を直視した見解を述べている。かつて外務省の中枢を担った氏ならではの意見具申だが、ひとつ気になる表現があった。

 佐藤氏は「近代国家の主権は国境線で確定される」とハッキリ書く。それはその通りかもしれないが、しかし国境線にこだわりつづける限り、世界の諸問題はいつまで経っても解決しないのでは、と思わずにはいられない。

 「国境線は20世紀の遺物」との認識がこれからはなにより重要なはずである。「近代国家の主権は国境線」だったかもしれないが、「近未来社会の主権は一人ひとり」へと進化すべきだからだ。

 いきなり国境線を無くすことは不可能だが、しかし小さな狭い領域から共同管轄を進言、それを実現させ、さらに拡大させようと努めるのが21世紀を生きる人類の責任であり、そのためにこそ人々の知恵を結集させるべきである。インターネットの進化・普及とともに、まずは国境という意味を弱体化させたい。

 地域や住所を知るための国境は必要かもしれないが、それ以外の「国家にこだわる国境」にどんな意味があるというのか。国境などただの線だろう、それは権力者が勝手に引いたもの、今後いかようにも変化する。個人の「点」と世界の「面」が何より重要、「線」を絶対化してはならず「線」にこだわるべきではない。

 現実の厳しさを重視するのは当然、だからこそ多人種・多文化が共有できる平和地帯をたとえ狭くてもまずは実現させたい。北方領土四島、特に択捉・国後の両島で日本人とロシア人が共同生活できる地域を(日本とロシア、さらに米国も含めて話し合い)世界に先がけ実現すべきだ。

 現実を知る佐藤優氏のような知識人が国境線にこだわることなく「日ロ共有地帯」を率先して進言できるなら、その言論はかなりの説得力と影響力を及ぼすはずである。