過去より未来を良くするために

 米国でトランプのような差別主義者が大統領になり、日本では安倍晋三というこれまた差別主義者が首相として居座り、そして世界中で格差が拡大、ヘイトスピーチが蔓延していることから、昔に比べ社会が不寛容になってしまったと嘆きたくなる。

 だがしかし、現在より昔が良かったわけでは決してない。元々社会には不寛容や差別が巣食っていたのであり、厳密には、それらが今新たに増幅してきたと言うより、これまで隠れていたものが表面化したのだと思う。

 分かりやすく例えるなら、パンドラの箱が一部開いたのである。ところで、パンドラの箱は開けない方が良いのだろうか? パンドラの箱をそのままにして恐る恐る平和と安心を維持することが懸命なのだろうか? むしろ、醜悪なものにこそ光を当てハッキリさせることが肝心ではないのか。

 いつの時代も歴史の曲がり角であり、様々な問題を孕む。問題に眼を閉ざすのではなく、それに向き合うこと。あえて、人類に課せられた使命があるとすれば、それは克服すること。なんのための毎日なのか? それは過去を学び克服し、未来を拓くためだ。

 過去を学び克服し、未来を拓くための最前を歩む人類の代表が政治家である。政治家に求められる資質とは、理想のビジョン、現実の確かな把握、そしてしたたかさだと思う。残念ながら現状の政治家にはそのどれもがまったく欠けている。
 
 せめて、カナダのトルドー首相やオバマ前米国大統領が抱く理想を掲げ、そしてロシアのプーチン大統領のしたたかさを備えた、そんな政治家が各地域からもっと出てきて欲しいが、漠然と期待しても出現するはずがなく、政治家を選び育てる私たち庶民の責任は大きい。

 「昔は良かった」と年を取るとついつい口にするが、しかし昔が良かったと思いたがる社会はあまりに悲しいではないか。いつの時代でも現実は厳しいが、少なくとも過去よりは現在、現在よりは未来に希望を抱ける社会にしなければ。