介護の現実

 高齢(96才)の母親と一緒に生活していると、いろいろ面倒なことが起きる。認知症を患っている母親は自分の行為が認識できない。身の回りの小物をしょっちゅう粉失する。自分で片付けるのはいいが、どこに片付けたかを全く覚えていない。

 年齢を考えれば、忘れるのはあたりまえ。だが、見つからないことを他人が持って行った(盗んだ)かのように思い込まれては困る。自分で言うのも何だが、私は温厚な人間だ。滅多に怒ることはない。しかし、何もしていない自分が泥棒のように見られるのはさすがに嫌だ。疑いの目で見る母親にイライラしてつい厳しいことをロ走る。96歳の超高齢者にきつく当たった後は自己嫌悪に陥る。ガマンしなければいけないのだ…。

 小物は粉矢しても探せば必ず見つかる。とんでもないところに隠れていたりする。こんな毎日の繰り返しである。

 認知症を患う高齢者の面倒を家で見ているのは、おそらく配偶者か、実の息子や娘ではないだろうか。施設に入居できる人は限られる。昔は平均寿命も短く、また一世帯が大家族だったから、面倒を見る期間も、個人の負担もそれほどではなかったろう。しかし今現在、平均寿命が伸び、核家族化が進み、面倒を見る人と見られる人は1対1で、関係する期間も長い。

 介護に携る人は自分の時間がなかなか確保できない。なにより辛いのは、介護という具体的・物理的な負担だけでなく、自分もやがて衰弱し認知症を患うかもしれず、いずれは介護される側に身を置くことが分かっていながら、しかしその時は自分ひとりきりで面倒を見てくれる人は誰もいない、そんな現実が予測できてしまうことだ。

 少子高齢化は現在の日本におけるもっとも重大な問題のひとつ。「団塊の世代」と呼ばれる大勢の人々もすでに65才前後。施設に入りたくても入れない高齢者。施設に入れるのに入りたくない高齢者。お金持ちと貧乏人。地方と都会、お年寄りと若者…。いろんな高齢者と、高齢者の面倒を見るいろんな人々。

 私の母親は要介護2で寝たきりではなく私はまだ助かっている。実際、要介護3以上の寝たきりの高齢者を介護して重荷を背負う人はとても多い。

 日本の近未来。想像しただけで恐ろしくなるが、テクノロジーのさらなる発達とともに、これからの30年間、日本はどのように変貌してゆくのだろう。