憲法九条の価値

 「憲法九条を世界遺産に」という本があった。現在「憲法9条ノーベル平和賞を」という運動が展開されている。本を発行した人たちや、運動に携わっている人々の気持ちは本当によく分かる。

 私も「日本国憲法 第九条」は大切にしたいと誰よりも強く思っているひとりだ。ところで、守るだけでなく「九条の精神」は生かさなければならないからこそ、あえて異論を述べる。

 「九条」は世界遺産になるべきではないし、「九条」はノーベル平和賞を受賞すべきではない。「九条」に 〜遺産とか 〜賞などの冠はまったく必要ないし、これほど似合わないものはない。「九条」を、額縁で飾ったり、ガラスケースに収納したり、博物館などで保管すべきではない。

 「九条」とはいったい何か。それは人々が日々生きるためになくてはならないもの、すなわち水や空気や土のようなもの。あたり前のように存在するもの、存在しなければならないもの、それこそが「九条」だ。

 権威からもっとも遠いところにあるべきものが「九条」であり、権威ほど「九条」にふさわしくないものはない。水や空気や土のように、私たちひとり一人の生活の隅々にまで浸透してゆく、浸透しなければならないのが「九条」である。

 以下に「日本国憲法 第九条」を記載する。

 『第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』

 これほど見事な内容があるだろうか。過去から現在にいたるまで、いかなる芸術作品も、どんな哲学・科学の論文も、この「九条」には平伏せざるを得ないだろう。

 これからいかにして「九条」を世界中に広め実践させてゆくかは人類に残された最大の課題であり、私もひとりの人間として社会の片隅で生きながら、考えつづけたい…。