未来志向の重要性

 アメリカ合州国だけが威張っているわけじゃない。ロシアも中国もイスラエルも…そして日本も五十歩百歩。互いがテクノロジーを駆使した最新兵器で軍拡競争に明け暮れ、威張りたがる。

 互いが威張りたがる競争をして結局はどうなったか、20世紀が証明してくれたはずなのに、どうも為政者たちは過去から学んでいないらしく、日本の安倍晋三首相などはその典型だ。なぜ威張りたがるのか、それは外見とは裏腹に内面では恐ろしくて怯えているからだ。

 もし、これまで各々の国家が管理してきた軍隊を国連が管理するようになれば、少なくとも「敵が攻めてくる恐怖」からは解放されるだろうし、世界中の軍事費は現状から大幅に削減され「財政負担の恐怖」も遠のく。

 国連が軍隊を一括管理。やがて、戦争の危険性がほとんど消えた世界は平和な世界となる。ただし、平和になったからといって喜んでばかりはいられない。なぜなら、もしそれが刑務所内の平和であるなら誰も歓迎しないからだ。

 いずれ国連軍は軍隊ではなくなり警察的な性格を帯びるようになる。今度は、巨大な警察が管理する社会体制における人間の生存が問われることとなる。

 じつは軍隊を増強して威張りたがる為政者といえども本音は恐くて戦争はしたくないのだ。その本音を隠しながら勇ましい態度を見せつつ大衆に戦争か平和かを天秤にかけることで、戦争を嫌がるほとんどの人々を納得させるため監視・管理が行き届いた「安全・安心な刑務所社会」を提供しようとするわけだ。

 さて、どうしたら国家の軍隊が国連の軍隊へと変貌できるのだろうか。そして、たとえ平和になっても、どうしたら社会が刑務所化しないで済むのだろうか。これまで憲法九条に関していろいろ記述してきたが、憲法九条を考えることは、じつは未来社会の人間の生き方を問うことでもあるのだ。

 過去から学ばず九条が理解できない為政者たちは未来を語ることができない。国家管理の軍隊がなくなり削減された軍事費の余剰分は、蔓延する格差・差別解消のために活用すべき。こうして、世界の平和と安全、人間の自由と平等への道を進もうとするなら、それこそ人類が前進する確かな第一歩となるだろう。