宝の持ち腐れ

 「変化」が時代のキーワードのごとく、
 何でもかんでも変わらなきゃいけないみたいな雰囲気がある。

 変化は重要だが、何を変えるべきか、何を変えてはいけないのか、
 そこのところを十分考慮しなければ。

 私たちは常日頃、理想を思い描きつつ厳しい現実に晒されるが、
 現実に妥協して理想を変えてしまうのは本末転倒、
 理想に向かって現実を変えようと努力すべきだ。

 「自由な理想」を抱きながら「抑圧の現実」に囲まれる日々。
 ところが今の日本、
 自由な理想を掲げた文言までも抑圧する(される)現実に変えようとする。


 自由な理想を掲げた文言とはもちろん「日本国憲法」のこと。戦後70年が経過、憲法が施行されて68年。この間、日本が他国の戦争に巻き込まれなかったのは日本国憲法があればこそ。特に「戦争の放棄」を宣言した第九条のおかげである。しかしながら同時に、第九条を含め憲法全体が弱体化されつづけた68年間でもあった。

 今現在、憲法は文言のみ存在、完全に空文化された。これまで私たちは日本国憲法を十分活用してこなかった。 もし、一人ひとりの意識に憲法が少しでも芽吹いていれば、現在のような独裁国家に日本は決して陥らなかっただろう。

 そもそも日本人は日本国憲法を読んで理解しているのか? 理解するしない以前に一度でも読んでいるか? 読んでる人はもちろんいる。しかし、読んだこともない人が圧倒的に多いのが実態かもしれない。

 世の中には貴重で大切なものが豊富に存在し、個人の趣味の領域にまで広げれば、世の中には人の数よりも多くそれはあるだろう。だが、あらゆる人々の生存に直接関わるもっとも貴重で大切なものは日本国憲法(特に、前文、第二章、第三章)である。

 現在に、そして未来に向けて、日本国憲法を活用しないなら宝の持ち腐れ。なんてもったいない!