ヘイトスピーチを糾弾する

 戦争による大量破壊や、犯罪における殺傷事件は論外だが、それら以外でもっとも許せないがヘイトスピーチのデモや落書きだと思う。東京や大阪のような大都市を中心にヘイトスピーチのデモや落書きが後を絶たないが、なぜこんな恥ずべき行為が公然と行われるようになったのか。

 人それぞれ好き嫌いはあるだろう。個人レベルなら他愛ない瑣末な事象で済む話だが、しかしそれが集団化して特定の民族や人種を貶めようとするなら、これは人類史上における重大な汚点となる。私は一応日本人だが、日本人の端くれとして、ヘイトスピーチの話題を知る度、なんともやりきれない気持ちになる。

 ヘイトスピーチがなぜ生じるのかいろいろ考えたが、意外と簡単な理由からだと私は思っている。結論を先に言えば、それは「悔しい」からだ。日本におけるヘイトスピーチのターゲットは中国人や朝鮮・韓国人が主な対象で、ヘイトスピーチに加わる日本人は、現在の中国や韓国を見て「悔しくて、悔しくて、たまらない」のだ。

 なぜ「悔しい」のか。太平洋戦争で日本は敗北したが、超大国アメリカの庇護を受けて経済成長を遂げ、戦後再び東アジアで君臨することができた。ところがバブル崩壊後経済成長は鈍化。現在では民主化を進める中国や韓国に追いつかれ、追い越されそうな趨勢である。

 かつては世界のトップを走っていた日本の技術。ところが造船も半導体も電化製品も凋落。IT関連においても突出するものがない日本の現状である。日本に比べ、世界の生産工場となった中国、造船や電化製品やIT技術でもトップクラスの韓国。このままでは中国や韓国に負けるかもしれないという恐れ。その悔しさがヘイトスピーチという歪んだ形となって現れる。さらに、中国や朝鮮の文化に影響を受けてきたという歴史上のコンプレックスが加わり増幅される。

 明治以降、太平洋戦争の敗北を経ても日本人の精神構造はほとんど変わらなかった。それは他のアジア諸国への優越感であり蔑視感である。どこよりも優秀で特別な民族なのだと思いたがる「自己愛・自己陶酔・自己中心」の塊が日本人なのである。だから高度経済成長時にヘイトスピーチは生じなかった。社会が落ち込むとヘイトスピーチのようなおぞましい行為が現出する。

 ヘイトスピーチでは特に在日を含む朝鮮・韓国人への憎悪・蔑視が凄まじいが、これは映画やテレビドラマ、さらに芸能やスポーツで韓流ブームが日本を席巻したことで、それらに対する反動もあるのだろう。「悔しさ」「嫉妬」「コンプレックス」に苛まれるヘイトスピーチ参加者。じつに情けなく、まったく恥ずかしい。いつになったら日本は真の意味で成長するのか。

 とはいえ、ヘイトスピーチ参加者とそうでない者とをハッキリ線引きすることなどできない。じつは日本人の多くが、自分は特別で他者より優越したいという気持ちを潜在的に抱いているのではないか。これはなにも日本人に限らず、ひとり一人の人間全般に指摘できることかもしれない。私たちはそんな意識を乗り越え、どんな人間も同じ人間として差別なく公平に見ることが出来るかどうか、時代の変遷の中でそれが常に試される。