原罪の意識(ヘイトスピーチに関して)

 「原罪」とは「キリスト教で、アダムとイブが神にそむいて禁断の実を食べてしまったという人類最初の罪。すべての人間は、アダムの子孫として、生まれながら罪を負っているとされる。宿罪。また、転じて、人間が根源的に負う罪(日本国語大辞典より)」ということらしい。

 以上の意味を近代日本に当てはめるなら、「かつて日本人は人道にそむいて朝鮮半島や中国大陸を侵略した。すべて日本人は近隣諸国への侵略の大罪を負っている。これは今現在を生きる日本人が根源的に負わなければならない罪」ということになるだろうか。

 ヘイトスピーチに関し、前回のつづきとしてさらに記述しておく。ヘイトスピーチに加わる者の多くが、じつは朝鮮半島や中国大陸へ日本が侵略したという日本人の原罪を無意識のうちに抱え込んでいるのだ。しかし、彼らは原罪に向き合おうとせず、向き合うどころか反作用として彼らは原罪から逃れようとする。だからこそ中国人や朝鮮・韓国人を毛嫌いする。

 特に、在日朝鮮人への誹謗・中傷が酷い理由として、強制され日本に連れて来られた朝鮮人の2世・3世・4世が、東京や大阪などのコリアンタウンを中心に今現在も数多く生活しており、日本人とは肩が触れ合うほど近しい関係にあるからで、在日朝鮮人を意識すれば、それは同時に嫌でも過去の日本人が犯した罪を意識せざるを得ないからなのだ。罪から目を背けたいがゆえに、目の前の在日朝鮮人を排斥したがる。

 過去の罪から目を背けること、じつはそれは自分自身の内面からも目を背けることと等しい。つまり、人間が根源的に負う罪からも逃げているのである。普通に考えればだれでも分かる。「死ね」とか「殺せ」とかを叫んで攻撃的になる人間ほど、極端に気弱で意気地なしの人間であることを。じつに恥ずかしいことだが、ヘイトスピーチ参加者にはそれらの自覚が著しく欠落しているのだ。

 「悔しさ」「嫉妬」「コンプレックス」等の理由を裏付ける、さらなる潜在的な要因が過去の罪に向き合わなければならない恐怖であり、であればこそヘイトスピーチ参加者は無意識のうちに日本人の原罪をさらに重く背負い込む。自身の内面へ通じる扉を閉ざし、自分を虚飾で覆い隠し、そして心が苛まれたまま彼らは一生を終える。本当の自分を知ることができず、人間への想像力が萎んだままの、じつに不幸な人たちなのである。