要支援と要介護

 私の母親は現在94才、12月に入ると95才になる超高齢者である。以前にも書いたとおり、私が住み慣れた東京を離れ、実家のある金沢に帰って来たのは年老いた母親の面倒を見るためだ。

 帰郷した4年半前、母親は要支援1の状態だった。そして時間の経過とともに要支援2となり、ちょうど一年前の審査でとうとう要介護1の認定をうけることになった。一緒に暮らしながら毎年衰えてゆくのが分かる。90才を越えて、あたり前だがどんなに努力しても若返ることはありえず、私の役目はお迎えの時が来るまで、静かに見守りながら身の回りの世話をすることだ。

 ところで要支援と要介護とではあきらかにサービスが違い、最大は「施設サービスが利用できるかどうか」にある。この一年間、母親が要介護1の認定を受けたことから、もしなにか支障が起きた場合、指定済みの介護保険が適用される「特別養護老人ホーム」への入居が可能だったので、私はイザとなったときを想定しながら多少の安心感を抱いていた。

 さて、介護保険の有効期間の丸一年が経過し、母親は再び審査を受けることになった。この一年の間に物忘れは激しくなるし、朝は起きれなくなるし、心身ともだいぶ弱ってきた。認定は少なくとも現状の要介護1かさらに上の要介護2くらいかもしれないと覚悟していた。

 ところが、通知が届いて驚いた。なんと要支援2に格下げされていたのだ。これは決して私の献身的?な介護のせいで母親が元気になった結果ではない。母親は明らかに一年前より衰えている。

 担当のケア・サポートマネージャーの方(去年と今年どでは別人)はとても真剣に接してくれたので、担当者に特に疑問があるわけではない。担当者も人間だから判断の多少のズレはあるだろう。それにしても、なぜ? 見るからに衰えた母親の認定が格下げされてしまったのか。私は認定の結果に不信感を抱いてしまった。

 これにはどうも、背後で現安倍政権の福祉切り捨て政策が露骨に反映しているとしか思えず、要支援と要介護を分断させ、これから増加する超高齢者は「子供が中心に、家庭内で面倒を見るべき」という自己責任論への方針転換に福祉行政が乗せられているのだ。実際は要介護者なのに、無理やり要支援者の範疇に組み入れて財源の負担を少しでも減らそうとする魂胆がミエミエである。

 母親の認定格下げの現実を前にしながら、これから先、日本社会の暗部を垣間見たような気がした。