隣近所の人々

 私の町内では、古くからの人々も暮らしているが、新たに住み始めた人々の方が多くなり、だから昔の雰囲気は薄れてしまった。街並や人々の暮らしぶりは時とともに移り変わるのだから、当然といえば当然である。

 長らく東京で暮らした私は、4年前に実家のある金沢に帰郷したが、じつはこの4年間、不安な気持ちが心の片隅に燻りつづけていた。それはなぜかというと、丸4年も経つのに、すぐ隣のアパートの住人の顔も名前も私はまったく知らないでいたからだ。

 夜、窓枠から明かりが漏れるので、誰かが住んでいるらしいことは前から分かっていた。しかし、どんな人なのかはまったく知らずにいた。出たり入ったりするところを見たことがなかったし、表札が掛かっておらず名前も確認しようがなかったのだ。

 ところが、たまたまこの4月から町内の班長の役割が私に回って来たことから、私は世帯確認や町費徴収のため隣のアパートに嫌でも訪問せざる得なくなり、そして最近になって、ようやくアパートに住む2世帯の名前と顔を確認することができたのである。それにしても異常ではないか、何年もの間、すぐ隣に住んでいる人の名前も顔も知らずにいたなんて。

 東京時代、小さなアパートの2階に私が引っ越したとき、両隣と下の住人には最低限の挨拶はした。ところが、その後、新たに入居してきた人々の、だれ一人として私のところに挨拶に来た人はいなかった。いったいどんな人たちが暮らしていたのか全然分からず、そんな状況は私がアパートを退去するまでつづいた。

 東京で暮らすと、「東京砂漠」がつくづく身に沁みる。しかし今は都会だけでなく、砂漠は地方でも大して変わらないことを実感する。宗教や新聞などの勧誘が多く、詐欺犯罪が目立つ昨今、昼夜だれもが厳重に戸締まりして息をひそめているのだ。確かに、プライバシーは尊重しなければならない。だが……寒いのは冬だけじゃなく、真夏の日中でも近所の雰囲気は寒々しい。

 隣のアパートは鉄筋コンクリート二階立て、築35年ほど。痛みが激しく、築年数よりもかなり古く感じる。手入れが行き届かず放置状態、汚れが目立ち、6世帯入居可能なのに、今現在は2世帯しか入っていない。建て替えするつもりが大家さんにはないらしく、このままでは朽ち果てるだけである。