説得力とはなんだろうか

 それにしてもヒドいですね。橋下徹の破廉恥発言問題に対する本人の数々の弁明は、ただ単に「悪あがき」としか言いようがありません(大誤報とか、日本人の読解力不足とか…吠えまくっている)。じつに見苦しい。

 「従軍慰安婦」における橋下徹の言い分は、『日本だけ性奴隷(を使っていた)として責任を押しつけられるのは違うでしょう。一緒に反省しましょう、ということ』らしい。この「一緒に反省しましょう」と口にするところが、じつに無責任でズルいですね。

 「従軍慰安婦(性奴隷)」制度が日本だけでなく、似たような制度が他の国々や地域にあったのだとしても、それらを同列にして「みんな悪いことをした、みんな責任がある」と論じるだけなら、それは裏返せば、「みんな同じなんだから、特に誰も悪いわけではないし、特に誰も責任をとらなくてもいい」と宣言してることと等しい。

 説得力とはなんでしょうか。自分の言動が他者に納得してもらうためには、まずは自らが模範を示さなければ意味はない、と私は考えます。

 橋下徹が「当時の日本の軍隊に従軍慰安婦制度は必要だった」と正直に述べたからには、つづけて、過去の日本の侵略行為に向き合い、戦争犯罪を厳しく断罪しなければならない。橋下徹が政治家の立場から自国の戦争犯罪に心から反省するなら、その姿勢や態度に私たち庶民も心打たれ納得し、もう二度と同じ過ちは繰り返すまいと誓うことができます。

 自らの内省こそが、他者を説得できる。これは国家間においても同様で、日本が過去の過ちを直視し強く反省の態度を示せるなら、おそらく似たような問題を抱える米国や中国や朝鮮や、その他世界中の国々にも内省を促すことができるでしょう。それこそが真の勇気であり、未来への扉が開くのではないでしょうか。そもそも問題の本質は、国家間よりも、権力の側(強者)と庶民の側(弱者)との関係性にあることこそを自覚しなければ…。

 自分のことを脇に置いて、他者に「ああしろこうしろ」と命令することほど説得力に欠けることはありません。橋下徹の言動はこれと大して変わらないのです。

 公人たる政治家は資質を常に問われますが、責任転嫁する者ほど政治家に向かない人間はいません。橋下徹しかり、石原慎太郎しかり、そして安倍晋三しかり…です。威張りたがる彼らは、ひとりで内省することができない。それは、自分を省みて、自分の弱さを直視することを恐がる意気地なしだからなのです。