スポーツとは何か

 騒々しかったロンドン・オリンピックも終わり、少し間を置くことでスポーツとは何だろう? と改めて考えたい。

 特別な限られた人たちのためにスポーツはあるのではなく、もちろん大勢の人々のためにそれはある。狭い意味でスポーツは運動競技のことを指すかもしれないが、身体を動かすという広い意味で捉えるなら、まさに全ての人々が共有すべきものだ。競技という範疇では当然参加者は限られるとしても、それを支援し観賞する周囲の人々も同時にスポーツに参加しているわけで、いつでもスポーツから影響を受けることになる。

 スポーツにまったく関心がないという人もいるだろう。だが、人は自分の身体や心の健康に気を使わないわけにはいかず、それを「健康づくり」の意味で認識するならどんな人でもスポーツを無視することはできない。

 適度に身体を動かし、また精神を活性化することで健康が促進されるなら、おそらく医療分野への負担は相当軽減される。それだけで国や地域における財政健全化への道筋をつけることも可能である。何しろ、入院や手術、医薬品、カウンセリング等の医療分野が最も大きく財政を圧迫しており、医療ビジネスが繁盛する社会なんて不健全な証拠だ。

 以前の記事でも書いたが、スポーツとはインフラであり、電気、ガス、水道、交通、コンピュータ等と同様に人間社会の下支えをするもの。それら重要なインフラを整えながら頑丈な社会の基盤作りをするためにこそ政治はあるはずで、それらを土台にして初めて人間は健康で文化的に人間らしく生きることがきできる。

 大勢の人々が気軽にスポーツに親しむ環境が整えられ、そんな中から、やる気があり才能を伸ばせる人たちがオリンピックを始めとする各競技に参加すればよいだけのこと。お上が幼児の頃から選別してエリート教育を施し、国威発揚に利用するためオリンピックで金メダルを目指そうと画策するなら、それこそスポーツの精神から遠ざかる。歪んだスポーツ行政は格差を広げ基盤が脆弱となるだけで、そんな社会は表面を飾るだけで長続きするわけがない。