力は得るものではなく捨てるもの

 2001年〜03年にかけて公開された、ニュージーランドアメリカの合作映画「ロード・オブ・ザ・リング(監督:ピーター・ジャクソン)」三部作(1旅の仲間、2二つの塔、3王の帰還)はファンタジー・アドベンチャーの傑作で、私の大好きな作品の一つ。善と悪、美と醜など単純な二元論的構成はやや気になるが、作品の訴える内容はじつに今日的で説得力があった。

 ロード・オブ・ザ・リング三部作の重要性とは「力は得るものではなく捨てるもの」という主張に貫かれていること。さらに、魔力を秘めたリングを捨てる役目を担うのが、ホビットというもっとも弱々しい存在に託されて描かれていることにある。

 20世紀は説明するまでもなく、科学技術が一気に開花し発展した世紀だが、一方で二つの世界大戦を見れば分かるように、多くの人々の命が失われた世紀でもあり、大量虐殺の世紀と呼ばれても仕方ない。大量虐殺――その象徴が「原爆」「水爆」などの大量破壊兵器であり、そして表向きは平和利用を謳うが原水爆とは同根の「原発」である。

 「原水爆」や「原発」は現代における「力」の最たるモノだ。しかし、それらの使用を誤れば人類にとって取り返しが付かない事態を招く。これからも生きつづけたいと願う人類にとって、そんな物理的な「力」は果たして地球上に必要なのだろうか?

 コンピュータゲームの傑作「Braid」の主人公ティムはどうやら原子物理学者らしい。そんな彼の元を去ったプリンセスを探し求めて困難な道程を歩むのが「Braid」だが、最後のWorld1においてついにプリンセスを発見するものの、どうしても一緒になれない。それどころか、じつは時間の逆転に秘められた世界で、プリンセスはなんと主人公ティムを殺害しようと企てる衝撃的な事実が明らかとなる。

 要は、プリンセスにとってティムの生き方は間違っているのだ。優秀な科学者が良かれと思って邁進してきた研究・開発。そんな自分の携わった科学分野が結果として人類を滅ぼすことに手を貸すなら、仕事の成果そのものが善から悪へと決定的に転化する。

 ゲーム「Braid」と映画「ロード・オブ・ザ・リング」は別物だが、共通のテーマがあり明快である。それは物理的な「力」への疑問であり、否定であり、人類がもし軍事力や原発に頼らざるを得ないなら不幸を招くだけだということ。

 ひとり一人の人間はいかにも弱々しい。であればこそ物理的な力に依存して威張ろうとするのではなく、人間同士、互いが共存・共栄・共有できるおおらかな心を育む知性と感性、そして「力を捨てる勇気」が求められるべきなのだ。今こそ、現状を直視し、人類の方向性を定めなければと思わずにはいられない。