成功と失敗

 私のような凡人には、他者の不幸を見て自分のささやかな幸せを実感するところがあり、哀れな他者と比較しつつ自分の優位性に安心する。いかにも庶民的な、器の小さな感情だが、おそらく多くの人々は自らを省みて頷くのではないだろうか。

 ところで、身の周りには必ずいると思う、やたら自慢したがる輩が――競争社会にもまれ、それなりに努力が実ったとの自負があるのか、これまでの歩みや毎日の生活において他人とは違う、自分は勉強家で物知りで、いつも工夫しながら充実した時間を過ごす――と吹聴したがる人間が。じつは、成功したと勝手に思い込んでる人間の自慢話ほどつまらないものはないが、本人はそれを自覚していない。どんなに優しく丁寧に控えめに語ろうと、自慢話には他者を見下す厭らしさがつねに付き纏う。

 もし、面白いかつまらないかの尺度で判断するなら、たいした苦労もせず順調に歩んで成功した物語ほどつまらないものはなく、同じ成功物語でも失敗と挫折を繰り返しながら、なんとかようやく今日の地位まで登りつめた話の方にドラマ性があり人々を引きつける。いや、成功など稀であり、実際は、成功を夢見ながら何をやってもうまくいかず、結局は落ちぶれて社会の片隅に追いやられる境遇こそが、ずっと共感できる。
 
 やはり面白いのは個人レベルの失敗談だ。笑いの大きな要因として、他者のズレや間違いや失敗を見たり聞いたりしたときだろう。自分も似たような真似をしたし、これから真似するかもしれないとの思いが湧くからだ。わざとらしさがなく真面目に取り組めば取り組むほど、ズレや間違いや失敗は可笑しくなる。だれも間違いや失敗はしたくないが、でも人間だから間違いや失敗を繰り返す。

 有名無名は関係ない。財を築いたとか破産して逃げまわったとかも関係ない。あえて成功と失敗の違いを述べるなら、自分の失敗を自ら笑い飛ばせることができてこそ成功の人生かもしれないし、自分の自慢ばかりして他者を蔑むようなら、それこそが失敗の人生だろう。

 他者の不幸を見て自分のささやかな幸せを感じるなら、それは他者と自分とが同じ境遇にいる証である。他者の境遇を慈しみながら自分の境遇を笑い飛ばせるかどうか、あるいは他者の境遇から距離を置き自分の境遇に閉じこもるのか、成功と失敗の狭間を私たちは生きている。