春の憂鬱

 気づかないうちに春分の日が過ぎてしまった。だんだん日中の時間が長くなり、今では夕刻の6時を過ぎても上空はまだかなり明るい。家の周りの地面は少しずつ緑に覆われ、いずれ頻繁に草取りもしなければならなくなる。

 新型コロナの対策で大変なこの時期、花粉だけでなく黄砂までが大量に飛散。冬が終わり、暖かい春の訪れでウキウキしたいのに、むしろ憂鬱になりそうだ。まったく、安心して過ごせる期間は一年を通しても限られる。

 首都圏では延長されていた緊急事態宣言が解除されたが、医療の専門家だけでなく私のような一般人まで、誰が考えても新型コロナの感染者が増加するだろうことは予測できる。たとえ解除せずとも、感染者が増えるのは間違いなく、ただ、急激にか、それとも徐々にか、の違いだけ。後手後手の対策は、もはや何をやっても手遅れのようだ。

 本来なら全く逆のはず。緊急事態宣言中にもかかわらず状況が悪化した場合、人々にお願いするだけのスローガンから、むしろ感染拡大を抑制するため、より厳格に具体的な方策を提示しつつ、引き締めを強化するのが筋ではないか。

 新型コロナ封じ込め対策に関し、私は中国のような全体主義的強権的な手法には真っ向から反対するが、一方、スウェーデン式の開放政策も失敗したようでこれにも私は賛成できない(それにしても、トランプ前米国大統領やブラジルのボルソナロ大統領の無策は酷い)。悩ましいのだが、私が望むのは今のところ民主的な自発的自粛しかないと思っている。

 名称はともかく、民主的な自発的自粛とは、一人ひとりが他者への思いやりから自発的に一定期間徹底的に自粛すること。それができるためには、国や地方自治から納得できる補償は必要だし、何より民主主義の理念が草の根まで浸透し、イザとなったとき自ら実践できる土壌を普段から養っているかどうかだ。

 残念ながら、民主主義が成熟した国や地域は未だ世界中のどこにもないことを今回の新型コロナは炙り出した。欧米は民主主義が進んでるように見えて、実は自分勝手な利己主義が蔓延してることを露わにしただけ。個々を尊重する民主主義への道はまだまだ遠いことを自覚させてくれた。