共有して失う恐れを克服しよう

 東京に住んでいたとき高級住宅街で有名な田園調布を見学したことがある。噂どおり大きな車庫を構えた豪華な住宅ばかり、まるで別世界のようだった。西洋の城をソックリ真似た威厳たっぷりな建物から、緑豊かな広々とした庭園を誇示する屋敷までいろいろ並んでいたが、そのどれもが頑丈な塀というか壁で囲まれて他者を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。

 プロ野球読売巨人の長島さん宅も拝見した。長島さん宅は世間一般の家よりはもちろんリッパなのだが、それでも周りと比べれば小さく地味な印象がしたくらい、それほど田園調布一帯は豪華絢爛だった。

 ただ、散策しながら、私は正直こんな田園調布の大邸宅に憧れは少しも抱かなかった。分厚い壁の内側で自分の財産を失うまいと心配しながら毎日を送り、広い庭の手入れに明け暮れて一生を終わるなんて、まっぴらゴメンだ。管理人を雇えば人件費が掛かるし、他人をいつも敷地内に入れるなら心配事は増えるだけ。

 田園調布の大邸宅の暮らしとは、結局は、大金持だからこそ自分の財産を守るために汲々しながら一生を終える暮らしである。

 ところで、私の東京生活における住居はいつも狭かったが、私はそれでよかった。極論すれば寝る場所の三畳間があればそれでよかったのだ。(三畳間に住んだことはないけれど)

 池袋に住んでいたので名画座文芸坐(後に新文芸坐)は私の大ホームシアターとなり、区立図書館は私の大書庫となり、近所の銭湯は私の大浴場となった。山手線は私の電車なのでいつも乗っていた。もちろん、それらは私だけのものではなく、大勢の人々のものでもある。

 蓄えた財産を自分だけで抱え込めば、安心するどころか失うかもしれない意識に苛まれる。そんな心配ばかりに明け暮れる人生なんて寂しい空しい。映画館や図書館や銭湯を、もっともっと共有しよう。公共施設をさらに充実させて皆で大いに活用しよう。

 プライバシーが確保できる最低限の空間と、世界と繋がる部屋用と外出用のコンピューター端末2台を所有するだけで個人的には十分かもしれない。他の施設はすべて公共施設として利用される。そんなインフラが整備された自由で平等な近未来社会を私は夢想する。