市場原理の行きつく果て

 「セウォル号」沈没事故から2週間ほどして、こんどはソウル市内の地下鉄で追突事故が発生、多くのけが人が出た。公共交通機関の不備に対し韓国内では政府への不信が募り批判が高まっている。それら一連の事故に関して、日本ではネットを中心に韓国を嘲り見下す言説が飛び交っているらしい(私は確認していない、いちいち見たり読んだりするなどアホらしいから)。

 韓国を三流だとバカにする日本の嫌韓たちだが、しかし日本は果たして自慢できる国なのか。近年でも、福知山線脱線事故による100名以上の犠牲者、関越道高速バス防音壁追突事故、なにより全世界に衝撃を与えた史上最悪の東京電力福島第一原発事故。以前には、これまた史上最悪500名以上の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故もあった。

 韓国でも日本でも、その他の国々でも、似たような大きな事故が発生し、多くの犠牲者が出ている。船でも電車でも飛行機でも原発でも、それらの事故の共通面として市場原理主義が根底にあることが分かる。事故で亡くなったり住居を失った方々は、いわば市場原理主義の犠牲になったといってもいい。

 一流とか二流とか、先進国とか途上国とか、発生した事故に関連して国同士を比較し対立させるなどまったくの的外れ。ひたすらカネモウケ主義のために人命を軽んじる、この風潮が全世界に蔓延していることこそが大問題であり、人命第一のため、新自由主義や競争社会、そして資本主義そのものにメスを入れる必要があるのだ。でなければ似たような大事故は何度も繰り返されるだろう。

 事故だけで済まなくなる可能性も大きい。土地や海洋、資源の奪い合いから新たな戦争が頻発し、それが全世界に拡大する恐れもある。

 かりに、運良く事故や紛争に遭遇しないで生き延びることができたとしても、結局、大多数の人々は99%の貧困層に押し込められ、わずか1%の支配層・富裕層のための下支え、犠牲にされるわけだ。