魅力的になりたいけど

 芸術家などでは若い頃に製作したものはどうしても荒削りで未熟、完成度から言えば褒められることはまずない。しかし一方、そんな粗野で未完成な作品だからこそ独自の魅力を放つ。

 「大家」と呼ばれるようになってからの作品がつまらなく、むしろ無名時代の作品に惹かれるのはなぜか? 作品が内包する不安定でぎこちなさ、それらに誰もが自分を投影し共感するからだ。

 どんな人間も生きてる限り「人生を表現してる」という意味では同じ。成長して非の打ち所がない立派な大人より、いつまで経っても失敗ばかりで恥をかきまくる出来損ないの大人の方が人間味があり遥かに魅力的だ。

 何事も順風満帆に進むはずがなく、人は大なり小なり必ずトラブルに巻き込まれる。生死には直接関係ないし、側から見ると他愛ないことでも、本人には重大で深刻な場合になることはいくらでも生じる。

 例えば、今現在、大勢の人々がもっとも多く右往左往させられるのは、おそらくコンピューター関連のトラブルだろう。会社で自宅で、昨日まで問題なく動作してたハードやソフトが、今日突然フリーズしたり、ファイルが消えた、なんてことはザラにある。

 私もその一人。IT機器のトラブルで何度も生活のリズムを狂わされた。そんな時イライラして瞬間絶望的にさえなるが、問題はそんな事態をどう捉えられるかで人生が問われる。損したと嘆くか、それとも勉強したと思えるか。後者でありたいが…。

 さて、普段からやりたい事がたくさんあるのに、つい最近、町内会の仕事をいくらか抱え込んだ。簡単な文書作成で大したことないと思っていたのだが、パソコンを触ってるうち、誤って過去の大切なファイルを消してしまう。なんてこった! 再び一から作り直し。

 余計な作業を増やし、昔から貴重な時間を食い潰してばかり。オレは失敗だらけで狼狽えてばかりの不完全な、しかし魅力的な人間なのか? それともマヌケでみっともない、単なるバカなのか?

IT機器に右往左往

 最近、私のiPhoneiPadが劣化してきたのか、バッテリーの消耗が非常に目立つ。100%充電した後、全然使用してないにもかかわらず、半日で50%以下になるし、就寝前75%位でも翌朝にはなんと10%台にまで落ちてる。

 購入してからまだ5年程度、なのにもう買い替えなければならないとしたら残念。精密なIT機器は長期間過ぎれば確かにある程度傷むだろうし、同じ機種を何年も使い続けるのは新製品が出る度買い替える人からは化石のように思えるかもしれない。けれど、5年経とうと本当はまだまだ十分使えるはず。

 冷静になって見直すと、未使用のアプリをたくさん抱え、大切なギガ容量を占有してるだけでなく、「モバイルデータ通信」や「APPのバックグラウンド更新」などが常にオンされていることが分かった。僅かとはいえ知らず知らずにバッテリーを消耗してしていたらしい。

 興味本位でダウンロードしたアプリケーションも、大半がほとんど使わず眠ったまま。家の中の物品だけでなく、IT機器の中身も断捨離しなければ、と自らに言い聞かせる。

 昨夜、私のiPhoneiPadの中身を整理することに。新型を購入した時、物珍しさと興味本位が先行し、様々なアプリをダウンロードしたが、しかし結局そのまま、全然それらを活用しなかった。そこで多くのまったく必要ないアプリを消去、スッキリする。しかし普段たとえ使わなくても残して置きたいアプリもあり、その代表がマイクロソフトのエクセル。

 私の生活にワードは必須だがエクセルにほとんど用はない。とはいえ、かつて町内会で班長になった時、ゴミ当番表をエクセルで作成したので、ゴミ当番が順番に回って来る限り、それを消去するわけにはいかない。

 念のため久しぶりにエクセルを立ち上げる。全然読み込めないじゃないか。未使用期間が長過ぎて受け付けなくなったらしい。ゴミ当番は順番に回って来るし、別件でひょんなことから使わざる得なくなるかもしれず、なるべく費用を掛けずエクセルは復活させたいと思う。

季節は変わり、会長も変わったが…

 いつの間にか2月も下旬を迎え、今日も朝から暖かい日差しが窓から部屋を照らし、昨日と同様まるで春が…いや春を飛び越え一気に初夏が訪れたかのよう。

 厳寒の峠は越え、日中もだんだん長くなり、初夏の陽気で先週の積雪もあっという間にほとんど溶けてしまった。さすがにもう雪は降ることがあっても積もることはないだろう。「冬は終わった」と宣言していいかもしれない。

 いよいよ春の到来。とは言え、新型コロナに加え、併せて花粉の飛散と、なかなか落ち着いてはいられない状況がつづく。今春の花見も昨年と同様制限されるに違いない。

 全国的に新型コロナ感染者数は減少気味のようだが、私の地元石川では連日クラスターが発生し感染者は増加、金沢では市内中心部繁華街に「飲酒・若者 感染拡大特別警報」が発令される始末。石川県の谷本正憲も金沢市長の山野之義もこれまで一体何をやってたのかと批判されて当然。頼みは外国製ワクチンだけとは情けない。

 ところで、東京オリ・パラ組織委員会の新会長に橋本聖子氏が選出され、本人も受託した。組織委が設置した「候補者検討委員会」の選考委員8名は、全員が次期会長に五輪担当大臣の橋本聖子氏の名を挙げたらしく、このニュースが速報で流れた時、あまりの既定路線にガッガリ

 早くも「透明性」が今年の流行語になりそうだが、男女4人ずつ揃え、形だけ検討委員会を設けてみたものの、次期東京オリ・パラ会長が橋本聖子氏では「透明性」の意見交換や議論など初めから無かったとの印象しか抱けない。

 男女いろんな人が次期会長の噂になっていたが、その中で最も選ばれてはいけない人物の一人が橋本聖子氏だった。彼女は現職の大臣だったし、森喜朗を父とまで呼ぶ前会長の影響下にある人物。森喜朗の後を継いで「何がなんでも東京オリ・パラ実施」に走るとしたら、いろんな意味で「日本の悲劇」が再生産される。

反面教師から学ぶ

 女性蔑視発言で形だけ反省したように繕った(全然反省してない)東京オリ・パラ組織委員会森喜朗会長が、とうとう辞任に追い込まれえた。それにしても、東京オリ・パラ組織委員会の現状は、呆れるというか、情けないというか…。

 一時、森喜朗の後を川淵三郎が継ぐ予定に。森氏83歳、川淵氏84歳、爺さんからさらに爺さんへ。お互い早稲田出身、気心知れた仲らしく、「川淵さんしかいない」と言って辞任する森氏が指名したというが、これだと本質はちっとも変わらないことを内外に証明したことから、批判が続出。一夜にして白紙。国内外に恥を上塗りすることになる。

 問題発言した森氏が指名するのはおかしいとか、密室での決定は不透明とか、実際、川淵氏が後を継ぐのはどこから見ても納得できないわけで、一連のドタバタは日本の隅々にまで侵食する森喜朗的状況を浮き彫りにしたわけだ。

 とりあえず、今週中には新会長が決まるらしい。なるべく若い人を、できれば女性を登用すべきだろう。それにしても、なぜ過去のスポーツの実績にばかりこだわるのか。むしろスポーツの世界から距離がある人の方が適任ではないのか。

 東京オリ・パラ開催の是非は別として、組織論から言えば、先輩・後輩や利害関係のない人の方が冷静に対処・運営できる。日本のジェンダー意識が問われ、男女同権が叫ばれる時世では、例えば、上野千鶴子氏や田中優子氏のような人物こそが選任されていい。

 森喜朗という人物は、世間に対し口先では穏やかな態度を見せるが、権威を奮い、支配したがり、周りを黙らせる。これが実態で、謝罪から程遠く開き直りの自己弁護会見を見れば明らか。本当に、こんな年寄りにはなりたくないとつくづく思う。

 物事の改善は、深刻な問題が生じてから図ることができる。ならば、東京オリ・パラ会長の森喜朗は反面教師の大きな証明だ。ジェンダー意識がほとんど希薄な従来の古臭い体質を、森喜朗が具体的に体現してくれたことで、日本社会は反森喜朗的方向へと前進の一歩を大きく踏み出せるかもしれない。

 森喜朗の問題もさることながら、組織と個人の問題がより深刻、政治団体、企業、労働組合から、末端の町内会、そして家庭に至るまで、そして私を含めた一人ひとりの人間の未熟な精神構造にまで、問題の根が蔓延る。それをどうやって払拭するのか、より健全な人間社会へ発展できるのか、常に問われることになった。

東京オリンピックの終焉

 最近、ようやく東京オリ·パラの是非がマスコミ等で取り上げられるようになったが、既に「中止」は決まってるんじゃないかと推測される。後はいかに混乱を最小限にとどめ軟着陸させるかということだろう。

 新型コロナで翻弄される最中、単独のスポーツイベントなら無観客でも何とかなるだろうが、男女併せて何百種目もの競技をたった二週間内で実施しようなんて不可能、とんでもないことになることくらいオリ·パラ推進論者ですら分かってるはず。

 オリンピックを絶対視、それに命を賭ける、勝利至上で国威発揚…そんな雰囲気を作ってしまったことこそが大問題。どんなイベントも何か危機的状況が生じた時は即中止、普段からもっと軽い気持ちで取り組んでいれば…。たとえオリンピックが中止になっても、スポーツ自体が無くなるわけじゃないし。

 何かを実現するため一丸となるのは悪くないにせよ、しかしその対象の規模が大きくなればなるほど窮屈になり息苦しくなる。もっと気楽に自由に、なるべくお金を掛けないように、人はオリンピックという呪縛から解放されなければ。

 コロナ禍で多くの人が不幸に陥ってるが、ある意味これまでの社会の有り様を見直すチャンスであり、オリンピックだけでなく、社会構造の転換を計りたい。

 そして火に油を注ぐよう、東京オリ・パラの組織委員長である森喜朗会長がまたまた失言、「女性理事が入ると時間かかる」等々一連の女性蔑視を露にしたが、しかしこの人にとっては失言でなく正直な気持ちを吐露しただけ。

 それにしても、こんな人をトップに担ぎ出して東京オリ・パラを開催させていいのか。仮に新型コロナの危機がなかったとしても、女性差別のイベントは開催する資格などなく、女性アスリートを中心に世界中でボイコットされるべき。

 差別発言の直前には「どんなことがあってもやる」とまで森喜朗会長は口にしていた。本当に救いようがない発言。人の命や健康、社会の安全・安心などどうでもいい、ただ自分が威張りたいだけ、ただ自分を誇示したいだけなのである。

米国の本音

 昨年11月の米国大統領選で敗北したトランプ。彼は今月9日米国上院で弾劾裁判を受けるが、結果はどうなるか。弾劾される可能性は小さいとはいえ、トランプ党から脱却できるかどうか、共和党そのものが問われている。

 それにしてもトランプとは一体何者だったのか。しっかり検証することで、二度とこんなバカな輩が登場しないことを願う。トランプの自国第一主義は嘘で「自分第一主義」であると以前にも述べたが、その「自分勝手我儘主義」が差別や分断、格差を益々増大させてしまった。

 唯一、彼を評価するなら戦争を好まなかったことだろう(これに多くの有名人、例えば木村太郎のような人がトランプを支持した)。彼は取引で儲けたいのであり、戦争は利益に反するからだ。

 しかしトランプは平和主義者でないことは明らか、全く信用できない。自分は戦争したくないが、他者のケンカや他国の戦争はむしろ歓迎するようなタイプ。なぜなら武器をたくさん売り捌き儲けることができるから。

 トランプにとって友好国や同盟国など表向きだけ、韓国と日本が仲違いの末戦争状況に陥っても構わないとさえ思っていたかも。彼は自分が支配した軍産の武器を韓国や日本がたくさん買ってくれればそれでいいわけだ。

 米国で新たにバイデン政権が誕生したが、トランプよりマシとはいえ、諸手を挙げて喜ぶわけにはいかない。なぜならこれまで米国の民主党が世界中で何をしてきたか見れば明らかで、バイデン氏は個人的には人が良さそうで好感を持てるけど、大統領としてどう振る舞うかは別問題、充分注意したい。

 自由、平等、民主、人権、平和…等々表向きキレイ事は述べるが、民主党にとってそれらは米国の利益が第一にあって初めて成立する理念に過ぎず、他国が米国と肩を並べたり、米国より上を目指したり、米国に反旗を翻すならなら、それこそ力ずくで阻止するだろう。これは民主・共和両党問わず米国の本音である。

 これまで、民主主義、資本主義、社会主義共産主義…いろいろ語られてはきたが、残念ながら理想にはほど遠く、それらは単に米国型、日本型、ソ連型、中国型…に過ぎなかった。権力が上から支配したがる構造はどれも似たり寄ったり。

日本の逆転現象

 新型コロナ感染で亡くなった人が5000人を超えた。インフルエンザ流行がほとんどない状況下、この数は欧米に比べて少ないが、やはり深刻だ。新型コロナと認定されずに死亡した人もいるだろうから、実態はもっと多いかもしれない。

 うがい、手洗い、マスクが必須となり社会全般にすっかり定着したが、振り返れば私の子供の頃にそんなものはほとんどしたことがなく、今から思うと、よくもあんな汚い生活を送りながら平気でいられたものだと感心する。しかし子供の頃のそんな日常こそが、逆に私の免疫力を強くしたと思っている。

 日本で清潔志向は随分前から社会に浸透してきたが、子供時代は泥んこ遊びをどんどんした方が断然いい。大切に育てたいとの気持ちが強過ぎて、子供を無菌状況のような環境に置くとかえってダメになるのは説明するまでもない。

 免疫力を蓄えるには川遊びや土にまみれた方がいいのだ。とはいえ年を取ってからわざわざ泥んこ遊びをする必要はなく、それはあくまで若い頃にすればいいのであって、年配者はやはりなるべく清潔な毎日を送るよう心掛けるべき。

 ところが日本では逆転現象が見られる。幼い時から清潔志向に走ることで免疫力がつかず、結果、壮年になって気力も体力も不十分なため、ちょっとしたことで挫折、セルフネグレクトに陥りやすくなるのだ。

 やる気が失せると、部屋の中は次第に雑然として荒れ放題となり、どんどん不衛生な状況に陥り、そうして益々体力が衰え、下手すればゴミの山に埋もれ孤独死…なんてことにもなりかねない。じつはこれは今現在、日本の重大で深刻な社会現象の一つではないか。

 薬は口にしないし適度に運動もして、体力に多少の自信を持ってる私だが、しかしこの先どうなるか分からず、体調には十分気をつけなければならないと自覚している。それにしても、塾、ゲーム、スマホ…それらに依存する子供たちの将来はどうなるのか。地震や台風と同様、感染症の流行もかならず繰り返す。