悪天候になる前に

 先週の平均最高気温は13~14℃前後でかなり暖かく、金沢の12月とは思えなかった。しかし、今週から一気に冷え込むとの予報が出て、連日雪マークが連なる。ようやく本格的な冬の到来となりそうだ。

 特に、明日の火曜から真冬並みとなり、ひょっとして雪はかなり積もるかもしれない。そうなると、いつもより早起きして雪かきしなければならないが、朝が苦手な私にはかなりキツい作業になるだろう。冬だから雪は降ってもいいが、あまり積もってほしくない。

 この何日もの間、身辺の書類の整理に明け暮れ、ようやく終了した。保険や公共料金、カードやネット関連、さらに町内会の連絡等、いろんなハガキや通知の類が知らぬまにけっこう溜まり、何とか片付けたいと思っていたのだ。

 スッキリし、これで読書や映画・音楽鑑賞に集中できる。日に日に残り少なくなる人生、ややこしい状況に陥らないため、余計な物事は整理・処分しつつ、極力シンプルな生活を目指したい。

 こうしていつも身の回りを整理することを心掛けてはいるが、身軽になるのを一番妨げてるのは、目に見える実際の物ではなく、むしろ気持ちの有様なのである。まだまだ「~でなければならない」という意識が心に巣食い、自分自身を何重も縛り付けているのが分かる。

 余計な現物を処分するのは簡単だが、気持ちを縛る意識を取り払うのは容易ではない。とはいえ、何かの「こだわり」がなければ人は生きられないのかもしれず、その調整が非常に難しく、生き方の上手と下手の違いはその加減にありそうな気もする。

 冬でも窓越しに青空が見えると心が暖かくなり、日光が差し込むと室内の気温は上昇、それほど寒さを感じないが、しかし当分の間、雨やみぞれや雪がつづくとしたら気分は重く身体を動かすのが面倒だ。悪天候になる前に身辺整理が一段落して良かった。

浮世離れの我が人生

 12月に入り、もうしばらくで今年も終わるのかという感慨と共に、この時期を迎えると月日が過ぎる早さを実感しながら焦りの気持ちも少し芽生える。この一年私は何をしていたのか?と。

 大したこと全然しなかったなぁ、と情けなくなる一方、こうしてただ生きてるだけでも立派じゃないか、と自ら慰めたくもなり、そう思うのはやはり年を取ったせいかもしれない。

 今年は新型コロナに日本を含め世界中が翻弄されてしまった。来年もこれはつづくだろうし、さらに厳しくなるかもしれない、と覚悟しよう。体調管理に気をつけ、節約を心がけ、何とか生き抜かねば。

 それにしても、金沢ではそろそろ初雪を観測してもいい頃だが、まだまだ先のようだ。12月も比較的暖かくなりそうで、今のところ北陸特有の雷が轟く「ブリ起こし」も気配さえなく、まるで新型コロナの災禍が自然現象を制圧したかのようである。

 ところで、今年の流行語大賞なるものが先日発表されたが、新型コロナ関連の用語が選ばれたのは当然とはいえ、それ以外の多くの候補に挙がった言葉のほとんどを私は知らなかった。

 さらに、先月には早くも年末恒例NHK紅白歌合戦の歌手が選出され話題になったが、ここでも私が知ってるのは数人だけ、ほとんど聞いたこともないグループや歌手ばかりだった。

 テレビ番組は見ないし、タレントの動向にも興味ないし、そんな私だから今現在の芸能界や有名人のウワサなどまるで知らない。つくづく自分自身の浮世離れを実感している。若い頃から世間に疎かった私、浮世離れで一向に構わないと開き直っているが、ただ、どんな人にも新型コロナは襲いかかるし、多大な影響を与えているのは事実。

自分への訓戒

 何かを表現するのは素晴らしいこと。とはいえ、どんな分野でもそう簡単に表現できはしない。例えば「詩を書く」とは単に言葉を連ね、行分けすればいいというわけではなく、それ以前に散文が問われるのだ。すなわち文章力のない人が、安易に詩らしきものを書いても、それは単なる落書きの範疇に留まる。

 同様に、外国語を学ぶときも重要なことを忘れないように。日本で生まれ育ち、日本の慣習に染まってる日本人が、異文化の外国語を学ぶことは相当困難なはず。そんな日本人が自国にいながら国語力が不十分だとしたら、すなわち日本語も十分できない日本人が外国語などできるわけがない。

 詩を書きたければ文章力を身に付けなければならないし、外国語を理解したければ、まずは日本語がある程度上手くならなければ。ただ、それらをハッキリ線引きする必要はなく、完璧な散文を書ける人などいないし、日本人でも完全に日本語を習得してる人などいないから、基礎(文章力や日本語)を固めつつ、応用(詩や外国語)を学べばいい。

 上記のことを踏まえながら、自分への訓戒としてつくづく思うことがある。じつは私は最近インフルエンザワクチンを数十年ぶりに注射した。(注射に限らず、錠剤でも粉末でも薬と名の付く代物は、私はこれまで何十年も体内に注入したり口にしたことがなく、それが私の数少ない自慢のひとつ。)

 しかし、冷静に判断したい。インフルエンザワクチンを注射したからといって、インフルエンザに罹らなくなるわけではなく、それはせいぜい50~60%の確率で予防できるだけ。薬や注射はあくまで予防のため、それで病気が完治したり、完全な防波堤になるわけではないということを。

 多くのお年寄りが何種類もの薬を抱えてる光景をときどき目にするが、薬に頼りそれに高額な費用を充てざるをえない日々を私は過ごしたくない。新鮮な野菜や魚や果物を摂取すること、そして適度に運動をすること、それら日毎の生活習慣と鍛錬こそが最善の薬となり、同時に免疫力を高めてくれる、そのことを自覚したい。

 表現すること、学習すること、健康を維持すること、一見密な繋がりはないようだが、目先のことに飛びつく前に土台がしっかりしてるかどうかの確認が肝心ということが分かってくる。

無症状の感染者と自覚しつつ

 まさか11月下旬の金沢で夏を体験するとは思わなかったな。先週の水曜と木曜は日中の気温が26℃を超える夏日、陽が沈んでからも25℃の熱帯夜。石川だけでなく全国各地で11月における最高温度を記録したという。

 暖かい、というより暑くてヘタすれば熱中症になりそうだった。なんで11月下旬の晩秋に熱中症を気にしなければならないのか。街中を歩くときはほとんどシャツ一枚で間に合ったし、家に帰ってからは体が汗ばみエアコンの冷房を入れたくなったほど。さすがにそれはしなかったが、まったく変だ。

 「異常」という形容がピッタリのこの陽気、新型コロナの感染拡大も益々深刻化する中、何だか不気味。土曜は急に寒くなったとはいえ平年並みに戻っただけ。11月に金沢で二日連続の夏日は気象観測史上初めてのことだった。

 その新型コロナだが、感染者数は右肩上がり、連日新記録を更新中。東京では三日連続500人突破、大阪は東京を凌ぐ勢いだし、北海道の感染率は特に急上昇、日本全体が深刻な状況に陥ろうとしている。

 そんな危機的状況の最中にIOCのバッハ会長がわざわざ来日、来年の東京オリンピックについて建前上いろいろ協議したようだ。しかし、本音では東京オリンピックなんか開催出来るわけないと思っているのでは? 世界の現状を見れば、2022年の北京冬季五輪、2024年のパリ夏季五輪すら、下手すれば無理。

 新型コロナの急激な感染拡大と医療関係者等の訴えから、政府はようやく火に油を注ぐ「Go To トラベル」「Go To イート」を見直すようだが、「時既に遅し」の感は免れず、これは政策の完全な失敗。本格的な冬を迎える年末から年始、そして二月の寒冷期、今後益々感染者数は増加傾向を示すのは間違いない。

 政治が無能だからひとりの人間として何ができるか、それを第一に考えなければならないとは情けない社会だが、個人として感染しないよう用心するより、感染してるという前提で感染させないよう注意すべきかも。自分は大丈夫と自惚れるより、自分は無症状の感染者と自覚しつつ毎日を送る方が、少なくとも自分を含め周囲に危険が及ぶ可能性はかなり低くなるかもしれない。

陰謀論にダマされるな

 米国大統領選でトランプが敗北。ホッとしてはいるが、しかしなぜトランプのような人物が大統領になれたのか、今後、大いに検証しなければならないだろう。

 トランプという大統領が存在したことは、偶然ではなく時代の必然だったかもしれない。インターネットが普及し、現在多くの人々がSNSを利用していることが、トランプのようなとんでもない人物を大統領まで昇らせる原動力になったと思う。

 発展途上のSNSの存在が、事実ではない虚偽を広め、陰謀論を蔓延させる時代にしてしまったことは間違いない。悲しいことに、多少はまともに思えたジャーナリストや評論家(例えば田中宇のような人物)まで、社会の裏側に潜む陰謀こそが本当だと吹聴しまくる。陰謀論は面白い、だから多くの人たちが騙されてしまう。

 ネットで検索すると陰謀論で溢れている。多くのブログや記事でいかにもこれが真実であるかのように記述し、「自分だけは知っている、自分以外は何も知らないバカ…」そんな類の記事が本当に多くて呆れる。

 もちろん陰謀めいたことは世にはあるだろうが、しかしそれが秘密裏に人類を自在に操ってるかのような主張は、まったく信用ならないだけでなく、むしろ害悪。陰謀論は事実ではない。フィクションとして I F(イフ)小説にしたら面白いだろうが…。

 たとえどんな大それた陰謀を謀ったとしても、所詮、自然界の中に組み込まれた人間の営みにおいては、人間が全てをコントロールできるはずがなく、必ず何かの要因で歯車は狂うし、計画通りには決して進まない。

 光が当たるところ必ず闇が生まれ、表があれば必ず裏があるのは当然だし、そんな闇や裏の世界を考察するのはとても重要。とはいえ、闇や裏に取り憑かれダークな世界に埋没してしまっては浮かばれない。

 先を100%見通せる予言者などいない。予想とは外れるもの。自分の予想が外れたからといって、何も恥じることなどないし、新たに軌道修正すればいいだけのこと。自分を常に正当化するため無理やり事実を捻じ曲げようとすれば、陰謀論のさらに陰謀論の底なし沼へハマりつづけ抜け出せなくなる。

トランプよさらば

 ジョー・バイデンが現職のドナルド・トランプを破り米国次期大統領に当選した。決まるまで時間がかかり少しモヤモヤしていたが、これでスッキリ、何よりトランプとオサラバできるのが嬉しい。

 バイデン氏は高齢でもあり、正直そんなに期待はしていない。周りがしっかりサポートする必要がある。むしろ初の女性として副大統領に就任するカマラ・ハリス氏に希望を抱く。彼女はひょっとして初の女性大統領になるかもしれないから。

 それにしてもトランプ、法廷闘争に持ち込み大統領職にしがみつこうとしているが、もう無理だ。口では偉そうなことを言うが、裏では逃亡の準備で忙しいに違いない。負け犬にいつまでもすがりつく側近などいるはずがないし、トランプ陣営がバラバラになるのは時間の問題。

 かつて第二次世界戦後の数年間、マッカーシズムで狂った状況に陥った米国。このトランプの4年間、差別と格差と分断が拡大し、新型コロナに対する無策から現時点で23万人以上が死亡、おそらく赤狩りの時代と同様、負の期間として米国史上に刻まれるに違いない。

 ところで、トランプが大統領になってからというもの、「アメリカ第一主義」が声高に叫ばれるようになったが、しかしこれは嘘であり、トランプの本音ではない。元々民主党こそが「アメリカ第一主義」であり、共和党もそうだった。

 ではトランプは何かと言えば「自分第一主義」なのだ。トランプはさすがに「自分第一」と声高に叫べないから、「アメリカ第一主義」とカモフラージュし、大衆迎合を装い、大勢の国民の心をくすぐり続け、一定の強固な支持基盤を作ったわけだ。

 今の共和党はかつての共和党ではなく、トランプ党に成り下がった。ほとんどトランプに支配されそうになったが、今回の大統領選でトランプが落選したのでその呪縛から解放される。イエスマンだけを集め私物化し、アメリカを乗っ取ろうとしたトランプとその一家は、ひょっとして数多くの罪状で逮捕されるかもしれない。

 民主党は本音の「アメリカ第一主義」は表に出さず、「自由と民主主義、世界の平和と安全…」とキレイ事を今後も並べ続けるだろう。しかし、本音がアメリカ第一である以上、世界中の格差はなかなか是正されず、数多くの紛争の種はそう簡単に消えたりはしない。

もっとも不思議な謎

 11月に入り、今年も残り二ヶ月。これからあっという間に年の瀬となり、そしてまた新年を迎える。いつも同じ言を繰り返すが、本当に時間の経つのが早く、年を取ったせいでそれは益々スピードアップしてきている。

 ちょうど今、晴れた夜には北東の空には満月が、すぐ傍には火星が赤く煌々と輝く。南西に目を移せば木星土星が接近し、中でもひときわ木星の白い輝きが目立つ。北の空ではカシオペア座が見えるし、そのW印を基に北極星を探すのは簡単だ。こうして星が輝く夜空を見上げながら、つくづく想う。

 世の中には常にいろんな問題が山積し、たとえそれらが少しずつ解決されたとしても、また新たな問題が必ず生じ、私たちは安堵してる暇などない。人類が生存し続ける限り、この呪縛から逃れることはできないだろう。

 人々は不安を抱き、人々は危険を察知し、だからいつも悩んだり苦しんだりして常に苛まれるが、では、その根本的原因はそもそも何だろうか。突き詰めてゆくと、それは自分の存在そのものに集約してゆく…。

 この世でもっとも不思議な謎とは何かを問うなら、それは大宇宙の神秘とともに「自分の存在」ではないだろうか。なぜ私なのか? 数多くの人々の中から、なぜ私だけが直接痛みを感じ、自分を意識できるよう選ばれてしまったのか? この事実ほど不思議な謎はなく、ここに全てが起因してるような気がしてならない。

 私は暗い上空を眺め遥か遠い宇宙の深淵を覗くが、じつはそのことは自分の足元を、一番近い場所を、すなわち「自分の存在」を探ろうとして覗いているのかもしれない。

 秋も深まり、玄関先の南天の樹の実がだんだん色付き、少しずつ冬の到来を告げてくれてる。その赤い実、今度の冬も小鳥たちが飛来し啄んでくれるだろうか。いつの間にかトカゲのカナヘビの姿が見えなくなり、ちょっと寂しい。そういえばいつも頭を撫でてた近所の白猫、最近姿が見えないがどうしたのかな。

 不思議だ。なぜ私は人間で、トカゲや猫ではないのだろう?