急変の果てには

 9月22日秋分の日を境に急に涼しくなった。それにしても極端。ついこの間まで連日30℃越えがつづいていたのに、一気に10℃ほどダウンして朝方など毛布だけでは寒いくらい。気候は徐々に変化するのではなく、階段のように上がったり下がったりするとは以前どこかで聞いたが、最近は階段どころじゃなく、まるでエレベーターだ。

 ちょうどいいはずの春や秋の季節がだんだん短くなっている気がする。年を取ると暑いか寒いかのどちらかで、私もそれなりに年齢を重ねたが故の感覚かと思う。だが気候変動の要素も大きく、年齢だけの問題ではないのだろう。

 もうじき94才になる超高齢者と呼ぶべき私の母親など本当に極端だ。90を過ぎれば感覚器官の微調整が一気に鈍るのか、前日までエアコンで冷房を付けていたのが翌日にはコタツで暖まっている。これは気候変動よりも明らかに年齢のせいで、誰でも高齢になればそうなるに違いない。

 季節の急変による天候不順も心配だが、もっと心配なのは社会の急変だ。強者(富者)と弱者(貧者)の格差を少しずつ縮小させながら公平な人間社会を目指す動きは劇的に変わることはなく、それこそ有名・無名を問わず多くの人々の地道な努力に寄るもの。ところが逆に、格差や差別を増幅させることはいとも簡単、人々の努力や協力が失われた途端、権力の好き勝手でそれらは一気に拡大する。

 ダイエットを例に出すまでもなく、太るのは簡単だが、体型を維持しつづけるだけでもそれなりの努力が必要だ。

 さて、民主党自民党、そして維新の会の動向を見る限り、私にはほとんど区別がつかず、どれもこれもが保守・右翼の背比べ。彼ら同士で政権交代を繰り返してもまったく変わらないどころか、米国の支配下、益々窮屈で不自由な社会になることが目に見える。いずれ実施される総選挙の結果、彼らが合同して大政翼賛になれば国粋主義の悪夢が再び現実と化す。

 私は保守や右翼を全面否定するつもりはないが、革新・左翼・リベラルがあまりに弱体化した日本社会のバランスの悪さには、ダイエットに失敗した激太りの先行き短い不健康な身体しか想像できない。