徹底した孤独

 いろんな人がいて、いろんな生き方をする。表に出る人、裏に回る人、それぞれの立場で振る舞い、それぞれの役割を果たす。喜怒哀楽に老若男女が入り乱れる。だが人々の営みも、ほんの少し斜めに見ると、だれもが心の襞に「孤独感」を潜ませて生きているようだ。それは、人里離れた山奥や海辺で自然に戯れようと、大都会の雑踏に紛れようと、どこでも同じだ。人はだれでも満たされぬ感情に苛まれながら生きている。

 心が満たされるなんてことはありえないが、それでも充実した人生は送りたい。だからこそ人は一生を賭けて己の空虚な穴倉に何かを溜めこもうとする。その何かとは具体的には、金(カネ)であり、仕事の成果であり、他者との交流であり、様々な知識であり、それらで僅かでも埋め合わせようとする。だが、所詮は満たされず、空虚さは募るばかり。満たされるわけがないだけに益々孤独感は深くなる。

 ふと、映画『2001年 宇宙の旅』を思い出す。映画の中の宇宙船ディスカバリー号のボーマン船長が蘇る。コンピューターHALの反乱により、たったひとりきりになったボーマン船長はHALに対して果敢に戦いを挑み、ついにHALの機能を停止させ、その後は宇宙の彼方へと消え去るのだが・・・。

 この映画ではSF世界の異空間を描いているにもかかわらず、私たちの身近な世界を見事に象徴しているかのようで引き込まれる。中でも特に、ディスカバリー号の閉ざされた船内にて、冷静沈着に任務を遂行するボーマン船長の姿勢に魅了されてしまう。それは、白く静謐な空間に漂う徹底した孤独感に魅了されるのであり、どんな寂寥な風景も映画に描かれたディスカバリー号の船内ほど孤独を感じさせる場所はないと思うからだ。

 孤独そのものに、良し悪しも、善悪も、美も醜もない。孤独とは目の前の現実であり、だれもが受け入れざる得ない情況なのである。どこで何をしようが、じつは、だれもがたったひとりでディスカバリー号のような船内にて生きている、と思わずにはいられないのだ。