内に秘めた情熱

 今現在、日本では10万人近くも100歳以上の高齢者がいて、全人口における高齢者の比率は毎年増加、近い将来3人に一人が65歳以上になると言われている。平均寿命は伸びたが、しかし気になるのは健康寿命、男性が72~73歳、女性が75~76歳のそれが伸びたという話はあまり聞かない。

 高齢者が増加しても健康寿命が伸び悩んでるとしたら、それはあまりに悲しくて辛い。多くの高齢者が車椅子や寝たきりで介護が必要という現実が横たわり、団塊の世代後期高齢者に突入するこれからの20~30年間、日本社会を想像すると怖くなる。

 年を取れば残りの人生が短くなるのは当然。だから日々短くなる人生をどう過ごすか、死が近づけば近づくほど問われるだろう。「どう生きるべきか」は世代に関係なく人生に付きまとう問題だが、青年期とはまったく違う意味を老年期になると問われる。先が長い青年期と、先が短い老年期では違う。

 青年期には「一生懸命」とか「がむしゃら」が当てはまるが、老年期では「冷静」や「穏便」が相応しいかもしれない。ただし、世代を問わず内に秘めた情熱を失ってはならないと思う。

 老年期でもっとも気をつけたいのは「なげやり」になりこと。どうせ残り少ないんだ、と心のタガが外れるのは非常にマズく、下手すると身体を壊すし、部屋が一気にゴミ屋敷と化す危険がある。

 「内に秘めた情熱」はどれだけ年を取っても失いたくなく、むしろ年を取るほどそれは激らせるべきだ。なぜなら情熱の炎が小さくなると一気に老け込むから。

 では「情熱」とはいったい何だろうか。人それぞれ、仕事でも趣味でもいいし、家族愛や友情、恋愛でもいいが、それら半径5メートル内にこだわるだけじゃなく、できればもっと深くて遠い大きな対象に向かいたい。例えばそれは「人々の自由と平等」であり、「世界平和」である。

 どうしたら一人ひとりの自由と平等が実現するのか、世界が平和になるためにどうすればいいのか。絵空事でいい、それらを常に真剣に問い続けること。これこそが「情熱」であり、その前向きな姿勢だけで健康寿命は伸びるかもしれない。