自分を使いこなさねば

 11月がスタート。残り2ヶ月を切り、今年もアッという間に終わるかと思うとなんだか寂しい。あれもしたい、これもしたい、とやる気だけは満々なのに、気持ちに身体が追いつけず、焦るばかりの日々だ。

 定年退職後「毎日何をしていいのか分からない」という高齢者が結構いるが、私には信じられない。やるべき事は山のようにたくさんあるはず…と思うけど。ただ、何となく「分からない」という人の心理状態は理解できる。

 何事も自ら考えず、人間としての生き方を模索してこなかった、周囲から言われるままに生かされてきた、そんな人は定年後に何をしていいのか分からなくなるのは当然、つい「昔は良かった」なんて愚痴が出る。自主的に生きることをしてこなかったツケ(空虚)に後半生が支配される。

 何をしていいのか分からず、時間を持て余し、家に閉じ籠り、テレビをボンヤリ眺め、酒をダラダラ呑みつづける…これほどつまらない虚しい晩年の過ごし方があるだろうか。

 会社人間で仕事に追われた年月を送ったせいで、退職金やこれまでの貯金など、ある程度のお金はあるからそれほど不自由はしないが、定年後の生活設計を築けななければどうしていいか分からず、死ぬまで流されるだけの人生を送るハメとなる。

 上記のような高齢男性は意外と多く、人生の後半生に悲惨な事態を迎える場合がある。既婚者は妻から三行半にされる可能性は高く、一人となり片付けもしない(できない)から家は徐々にゴミ屋敷と化し、自暴自棄になりかねない。

 身近にあるモノなのに使わないとしたら勿体無い。使わないとサビ付いて機能不全に陥ってしまう。人間の身体などその典型で、使わない筋肉は衰えるし、脳ミソも使わないと萎縮が早まりボケが進行する。偉そうで申し訳ないが、家事労働、勉学、運動…何でもいいから自分をどんどん使いこなさねば、と私は自分に言い聞かせてる。