大人たちよ

 変な夢を見てる最中に目覚ましが鳴り、こうして無理やり起こされる朝ほど嫌な時間帯はなく、まるで眠った気がせず、一日中気分が悪い。

 記憶のヒダにこびりついてる忘れたはずの過去の出来事が、睡眠中に解き放たれ覚醒するのか、そのほとんどは、失敗し、恥をかき、狼狽した、そんな経験が複雑に絡み合った若い頃の負の側面ばかりである。

 「昔は良かった」と中高年になった大人が昔を懐かしんで口にしたがるが、その昔とは自分が無邪気な子供や血気盛んな青年の頃なのか。私にはその頃が良かったなんて全然思わないが…。大人の皆さん、若かった頃が本当に良かったのか、どうか素直に正直になり振り返ってみてほしい。

 年老いてから「昔は良かった」と若い頃を懐かしむのは、年老いた今現在が「悪い」と宣言してるようなものでしょう。過去の郷愁に浸れば浸るほど今の自分が惨めになるばかりじゃありませんか。

 「昔は良かった」なんて人生は送りたくない。昔より現在の方がマシだし、現在より未来の方がさらに良くなる…と、それくらいの気持ちで毎日を生きたいもの。

 ただ、なぜ「昔は良かった」と思いたがるのかと言えば、辛く苦しくても若かった頃は「夢と希望」を抱けたからで、たとえそれが漠然としたものでも生きる勇気を得られたからだ。

 年を取れば自らの未来にイヤでも限界が見えてくる。だから「夢と希望」が失せることが哀しくて、つい「昔は良かった」と口に出るのだろう。

 現在の社会が昔よりもいい、とは確かに言えない。だが現在の社会を作ってきたのは今の大人たちではないか。自分が死んでも未来は永劫に続く、次の世代へ「夢と希望」を託さねば、それが大人の責任。大人たちよ、「昔は良かった」なんて自分の小さな殻に閉じ込もってる場合じゃない。