新潟県と石川県の違い

 先の衆議院選挙の結果を新潟県と私の地元石川県とで比較してみる。新潟は全6区の内、自民党は2区と3区の二つのみ、残り四つは立民の三人と野党系無所属が取った。対して石川は1区から3区まで全部自民党が当選。

 同じ日本海側の北陸地方で雪国なのに、この違いは何だろうか。どうしてこんなに差が出るのか。それはズバリ、田中角栄を産んだかどうかによると私は思っている。

 1972年に総理大臣になった田中角栄は新潟の片田舎出身。裸一貫から日本のトップへ上り詰めたことから「今太閤」とも呼ばれ絶大な人気を誇る。しかし、田中の人脈と金脈を追求した立花隆の「田中角栄研究」とロッキード事件に絡む逮捕を契機に自民党主流派からアッという間に闇に葬られた。

 つまり、これはある意味、革命とクーデターを経験したようなもの。新潟県民は歓喜と悲哀を短期間で味わい、中央への不審が根強く残ったに違いない。こうした経験が全くない石川県民は、だから現在も甘々のぬるま湯に浸かったままだ。

 石川からも短期とはいえ森喜朗が総理大臣として輩出したが、田中角栄森喜朗では良くも悪くも人間力としての器がまるで違い、比較対象にすらならない。

 もう一つ、新潟には東電の世界最大級柏崎刈羽原発があり、これまで数々の不祥事を起こしたことから、同じ東電の福島第一原発の大事故以来、東電への、すなわち東京(中央)への不信感が増幅したのは間違いないだろう。石川も能登北陸電力志賀原発はあるが、直下に活断層が走り再開は不可能で柏崎刈羽原発とは規模が違う。

 田中角栄がかつて存在したこと、そして柏崎刈羽原発が現在も存在してること、新潟ではこの二つの要因が野党躍進の原動力になってるのではないか。

 人は痛い目に遭わないとなかなか覚醒せず、失敗を繰り返すことで成長の糧を得るが、これは人間や社会が前進・発展する上で必要不可欠な要素だ。しかし、だからと言って、できれば事故や事件には遭遇しない方がいいし、人命に及ぶような危険や恐怖は経験しない方が良いに決まってる。平穏無事な毎日を送れるに越したことはない。

 問題はここから。果たして安心・安全だと思い込んでる普段の生活から人は覚醒することができるのか。もし日常が流されるままなら意識転換はまず無理だが、ちょっとした疑問や好奇心、そして探究心を抱くなら…じつは、それこそが自分自身を変えられる原動力となるのは間違いない。石川県民も一日も早く覚醒すべきだし、現状においてもそれはできるはずなのだ。