スポーツに興味なし

 ちょうど一年前の衆議院選挙で自民党が大勝し、半年後の参議院選挙でも自民党が勝利したことで、この一年間は本当に散々だった。

 年間を通し、海外の投資家がコントロールする株価上昇、それで景気回復?と勘違いする経済事情で安倍政権はかろうじて維持できている。消費税増税で来年はどうなるか分からない。

 「先行き不透明」という不安を煽る言葉が近年流行っているが、しかし安倍政権がつづくかぎり先行きはハッキリしている。特定秘密保護法案、原発再稼働、TPP推進、集団的自衛権…そして憲法改悪と、日本は益々朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)化してゆくことだけは確か。

 そんな、お先真っ暗な世相において、慰みのひとつがスポーツ分野だったのに、この一年間で私はスポーツにすっかり興味を失った。スポーツは文化なので、ひとり一人の人間にとってそれは自己形成の重要な手段であることは間違いないが、けれど手本となるべき一流?と呼ばれる選手たちの言動に、もはや説得力はほとんど感じられない。所詮、彼ら、彼女らは、権力の操り人形である(選手全てとは言わないが)。

 スポーツ選手の立場が弱いことは昔から十分知っている。それでも大多数が反対する表現の自由を奪う特定秘密保護法案に対し、疑問を投げかけるスポーツ団体やスポーツ選手が出てもいいはずなのに、まったく見えなかったし聞こえなかった。スポーツは表現の一環でしょう。映画や演劇など芸能人にはまだ志ある人々がいてホッとする。

 イチローがどれだけ多くヒットを打とうが、ダルビッシュがどんなに奪三振しようが、田中将大が連続勝利数を伸ばそうが、そんなことはもうどうでもいい。サッカー日本代表がワールドカップ出場を決めようが、夏季・冬季オリンピックで世間が盛り上がろうが、そんなことはもうどうでもいい。陸上、相撲、体操、水泳、ラグビー、バスケ、バレー、ゴルフ、スキ―、スケート…、チームや個人の勝敗など、本当にどうでもいいと思う。

 スポーツが嫌いになったわけじゃなく、ただ興味を失ったのだ。自ら身体を動かすことはつづけるが、それ以外のこれまでスポーツ関連に充てた時間は、これからは読書や映画やジャズに割り振ることにする。残された人生、できるだけ有意義に過ごすために。