特別な時間や場所?

 日々生活を送る中、人は特別な日時や場所を設定したがる。思い込みの強い人ほどその傾向にあるだろう。「パワースポット」とか「聖地」とかを設け、思い出の記念とか、大きな事件が起きたからとか、そんな日時や場所を特別に祝ったり追悼したがる。

 気持ちは分かる。私にもそれがないわけじゃない。しかし冷静に考えれば、そんな特別なものなどあるはずがない。なぜなら、すべての時間が、すべての位置が、特別なのだから。

 自分の意識に特別な存在を設け、その為に生きるような真似を、私はなるべくしたくない。いかなる時間もどんな位置も本来は均等で、ただ表象が常に変化してるだけ、その中を私は生きている。

 公的な意味での特別な「日時」や「場所」は必要と思う。日本で言えば、広島・長崎に原爆が投下された8月6日と9日、日本が第二次世界大戦で敗北した8月15日の「敗戦記念日」、東日本大震災て東電福島原発が大事故を起こした3月11日…それらに関しては決して忘れてはならず、人々の戒めとすべきだ。

 さらに、ネパールやブータンで暮らす人々にとりヒマラヤ山脈は神々しい存在に違いないし、同様に世界中の大自然や古代遺跡には畏敬の念を抱かざるを得ず、それらに特別な感情を抱くのは当然といえば当然だ。

 とはいえ、あまりに「設定された特別な存在」にこだわり過ぎると、普段の生活上から重要な意識が消え去りかねない。世界中の惨禍や驚嘆はあまねく通底してるはずで、私たちは、いつ、どこで、何をしようと、大切な事実を忘れないことが肝心である。

 さて、個人的なこと、例えば誕生日とか結婚記念日とか、それらにこだわることにどんな意味があるだろうか。誕生日はいろいろ手続きをする際に用いられるが、そんなに必要不可欠な日か? 毎日、私の命と通底する新しい命が世界中で誕生しており、個人の誕生日なんて曖昧であってもかまわないような気もするが…。結婚記念日を忘れたからといって、それが大問題か? 毎日が結婚記念日なら、夫婦はもっと幸せになれるだろうに…。