天動説にこだわる面々

 私が嫌いな有名人はたくさんいるが、その代表的な二人の人物が橋下徹ホリエモンこと堀江貴文である。彼らが世間に登場してからだいぶ経つが、最初から私は彼らのような人物が大嫌いだった。

 何か事あるたびに彼らは口を出し、またそれをメディアが大々的に取り上げ話題にする。彼らが世間の人気者であるのは確かだろう。彼らが目立つのはその舌の滑らかさと言語の量にある、中身は別として。

 橋下徹堀江貴文は同じではないが、かなり似てるところがあり、それは彼らが自分の利益の為に大衆を利用してるところ。彼らは相変わらず自己中心の天動説を信じてるような人物なのだ。

 一方、俳優出身で政党「れいわ新選組」の代表山本太郎に私は好感を抱くが、その一番の理由は、彼は他者の為に尽くそうとしてるから。彼はあくまで地動説という事実に則りながら大衆に訴えかけているように見える。

 ワガママで幼児性から抜け切れない安倍晋三首相などは自己中心の天動説にこだわりつづける典型的な人物と言える。こういう人物の特徴は何かミスを犯しても決して認めようとせず、平然と嘘を吐き、いつも隠して逃げようとするのである。自分を正当化させる為には嘘と隠蔽と逃亡しか手段がないからだ。

 事実と真理を追及する科学は天動説から地動説へと進歩してきたが、人間そのものは残念ながら常にミスを犯してきたし、これからも失敗を重ねつづけ、科学のように進歩することはなかなか難しい、いやほとんど進歩はないと言っていい。

 そもそも人間における「自己」とは、自己にこだわり続ける限り元々は天動説のような存在なのかもしれない。もし人間が進歩するなら、天動説から地動説へと転換せねばならないが、そんなことができるのか、どうしたらいいのか。

 自己と他者、天動説と地動説、これらの関係性について、もっともっと吟味し考察したい。科学は進歩するが人間はいつまでも昔のまま、そのギャップがもたらすものは何だろう。未来がとんでもない悲劇の場になりませんように。