敗戦記念日にいろいろ考える

 8月15日は日本の大東亜戦争敗戦記念日明治維新以降、日本は愚かな戦争を繰り返し、72年前1945の夏8月15日、ついに終局的敗戦を迎える、日本は多大な犠牲者を出し、米国だけでなく、中国にも朝鮮にも東南アジア諸国にも負けた。歴史上、日本ほど愚かな国はなかったかもしれない。

 ところが今再び、日本は愚かな道を歩み始めたかのよう。国家の幻想に取り憑かれた政治家や軍人や大衆によって、また同じ過ちを繰り返そうとしている。失敗すれば反省し、新たな道を探ろうとするのが人間個人のはずだが、人間は集団化すると何度も同じ失敗を繰り返す可能性が膨らむ。

 「みんなで力を合わせる」ことは人間社会では美徳のようだが、それが一歩間違えるととんでもない悲劇を産む。集団より個人、みんなよりひとり…ちょっと横道に逸れるが、私は生涯をかけ小さな「個」としての人間を徹底的に追求したい。

 現在、朝鮮のミサイルがいつ飛んで来るか分からないというので、日本各地で避難訓練が実施され、また避難計画が検討されているが、これらの訓練や計画はまったく無意味だ。明治から昭和にかけて活躍した桐生悠々というジャーナリストは1933年「関東防空大演習を嗤う」という社説を書き、陸軍や政府から怒りを買い退社させられたが、当時の状況と現在はとても似ている。

 (…とはいえ、以上の訓練や計画が、今後日本の上空を好き勝手に飛び回ろうとする、米軍の欠陥機オスプレイの墜落を想定しているなら多少は納得できる…。)

 それにしても政治家の現状は情けないの一言。平和を築くべき仕事のはずが、戦争を煽ることに邁進してるのだから。トランプも金正恩安倍晋三も政治家落第。彼らには一日も早く退陣してもらうのを願うばかり。

 朝鮮の核開発がけしからんと米国や日本は恫喝・制裁したがるが、しかし力で抑えようとすれば最悪の結果をもたらす。朝鮮の体制を変えるのは外からの武器ではなく朝鮮の民衆でなければならない。時間はかかるが必ず変わると思う。朝鮮だけでなく、米国でも日本でも…。