尊敬すべき一流の人間とは

 専門分野でどれだけ素晴らしい業績を成し遂げようと、もしその人が炊事・洗濯・掃除などの家事労働を他人に任せ、自分は好きな物事にだけ集中できたあげくの成果であったなら、その人自身の人間としての価値は半減する。

 スポーツや芸術や科学の領域、あるいは政治や経済分野で華々しく活躍する人たちがいるが、果たして彼ら彼女らは毎日の家事労働を自らきちんとこなしているのだろうか。家事労働を実践した上での活躍なら私は彼ら彼女らを尊敬したい。

 野球選手でバッターやピッチャーがどれだけヒットを量産し三振を奪おうと、サッカー選手がどれだけゴールを挙げようと、オリンピック選手がどれだけ金メダルを獲得しようと、そして科学者や文学者がノーベル賞を受賞し国際的に評価されようと、所詮、それはスポーツや科学や文芸の専門分野での話。

 専門分野なんてじつに狭い世界だ。私は人間の普段の生き方そのものに注目する。毎日の生活における基本中の基本である家事労働、それを人任せにして過ごすようでは、そんな生き方には大きな疑問符が付くし、そんな人間は人間として二流である。

 人と作品とは別物で、立派な人が優れた作品を作れるとは限らないし、逆にダメ人間だからこそ傑作を創造できるかもしれない。人の評価と作品の評価を混同してはいけないが、しかしだからこそ、その人が毎日どんな生活をしているか、光の当たらないところに想像力を働かせ、少なくとも私たちは人間の評価を誤らないようにしたいと思うのである。