では、どうすればいいのか

 人類の歴史とは争いの歴史だった。世界のどこかでかならず紛争・戦争が勃発し、大勢の罪なき人々の命が奪われてきた。一応平和な環境で暮らす運のいい人々も、いつ自分の命が危険に晒されるかもしれないとの不安を常に抱いてきた。

 争いごとの耐えないバラバラな世界がひとつになり、世界全体が平和になればいい、と漠然と多くの人々は願っている。とはいえ、たとえば世界が北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)のような全体主義社会のような形でひとつになることを誰も願わないだろう。

 社会は様々な組織で成り立っている。しかしほとんどの組織はピラミッド式階層型で、大中小のピラミッドが林立し、そして互いが競争しながら勝ち負けに一喜一憂する。場合によってはピラミッド同士が血で血を争う戦にまで暴走する。大が中を、中を小を支配しようと企む。

 大中小のピラミッドがひとつになり超巨大なピラミッドを構成すれば戦争はなくなるかもしれない。しかし、もし世界が超巨大なピラミッド式階層型組織でひとつになったときこそが最悪となり、それは自由で平等な社会からは正反対の完全なる巨大刑務所と化す。

 前回、憲法9条を世界憲法に格上げして各国の軍隊は国連が管理する警察へ変貌させよ〜との記事を書いたが、国連の警察がピラミッドの頂点に君臨し世界全体を監視するようになっては悪夢だ。

 では、どうすればいいのか。ピラミッド型の管理体制を忌避し、回転型・循環型管理体制を築く。例えば、米国の警察はロシアの警察が監視し、ロシアの警察は中国の警察を監視し、中国の警察は米国が監視する。日本は韓国から、韓国はオーストラリアから、オーストラリアは日本から…。アジアはヨーロッパから、ヨーロッパはアフリカから、アフリカはアジアから…。

 実際の管理・監視体制はもっともっと複雑になるだろう。癒着構造が生じない仕組みを知恵を出して考案しなければならない。ともかく上位下達の一方通行はダメで、横・水平に展開させてこそ人類の未来は拓ける。

 人間の目は前方しか見ることができない。背中に目はないのである。どんな人間も他者から背後を見られている。だれもが他人の背中を見ながら、同時に別の他者から自分の背中を見られている。これが人間である。今現在「人間とは何か?」をもう一度真剣に考えるべきときかもしれない。

 人間や組織が背後から見つめられなくなったとき、確実にその人間や組織は、堕落し、崩壊し、腐りきってゆく。