未来を語りたい

 安倍政権が誕生してから、日本はまるで太平洋戦争前の状況になったかのようだ。戦後生まれの私はもちろん戦前の日本社会を実際には知らないが、おそらく雰囲気は今現在と似ていたのではと十分に想像できる。戦後だけを見ても、表現や集会の自由がこれほど抑圧された時代はかつてなかったと断言できる。

 とはいえ、表現において現在が戦前と決定的に違うのは、テクノロジーの進歩によるインターネットの発達だ。新聞やテレビや雑誌などの大手メディアは体制側に与してほぼ壊滅状態。かろうじてインターネットを通して発信されるソーシャルメディアの情報だけがわずかに自由を確保しているかのよう。

 ただし、そんな自由な領域のインターネットも、もし権力が掌握してしまうなら、どんなに情報量が多くとも単なるありきたりで表面的なものしか流れなくなり、事実の世界に蓋をされたまま人々は刑務所暮らしのような生活を強いられることになる。

 過去・現在・未来の時間軸で、「日本をとり戻す」「強い日本」と声高に叫ぶ安倍政権は完全に過去の遺物。対して、安倍政権を批判する左翼・リベラル勢力は現状維持が精一杯で、日本が逆戻りしないよう現在に踏みとどまろうとしているだけ。どこからも未来が見えてこない。

 「過去に戻りたがる権力」と「現在に踏みとどまろうとする市井」が対峙すれば、少しずついつの間にか過去へ引きずられることは分かりきっている。時代の逆行など許されないはずだが、残念ながら日本の両足は確実に過去へ歩み始めている。

 苦しく辛い時代だから何事も憂慮し深刻にならざるを得ず、どうしても渋面となり笑顔になれないかもしれない。だがあえて、こんな時代だからこそいろんな可能性を秘めた未来について語りたい。過去へ戻らせず、現状から一歩でも前進するために未来を目指そう。

 10人いれば10通りの、100人いれば100通りの未来図が描ける。それらを面白可笑しく語り合えたらどんなにいいかとつくづく思う。未来を想像しながら意見交換することはとても楽しく有意義なはず。

 戦前回帰したがる安倍政権に道は一つしかないが、未来には無数の道が開けている。未来はそれほど自由であるということ。監視・管理・強制の窮屈極まる安倍政権への対抗は「未来」だ。