インターネットの過渡時代

 かつては世間に自分の意見を発表できるのは一部の限られた人々のみ、学者や作家や経営者や政治家など、いわゆるエリートと呼ばれた人々だ。しかしインターネットが発達したおかげで、あらゆる階層の人々が自分の意見を自由に発信できるようになった。

 誰もがインターネットで意見できる。これは科学技術のある意味素晴らしい進歩の成果だが、洗練や選択の過程を経ないため、同時に、文章とはとても呼べないレベルの低い単なる罵詈雑言まで蔓延することに。

 広大なインターネットの世界ではネトウヨが跳梁跋扈し世界をかき回す。これまで左翼・リベラルっぽい雰囲気を醸し出していた知識の世界が、世界をかき回すネトウヨ勢力に飲み込まれてしまったかのようにさえ見える。

 そうなった大きな原因のひとつとして左翼・リベラルの新しいモノに対する拒否傾向があると思う。とかく頭の良い人々に限って新しい技術に対して問題点を列挙し(その姿勢は重要だが)それを否定したがるようで、結局、現在は左翼・リベラルが時代に乗り遅れた状況にあると言っていい。

 トランプ、プーチン習近平金正恩、そして安倍晋三…彼ら独善的で独裁的な政治指導者たちが今現在のさばり、時代はまた危険で怪しげな方向へ、そして過去の惨禍を再び繰り返すような情勢だが、こんな時代を形成させた一つの大きな要因として、インターネットが果たした役割はかなり大きいだろう。

 繰り返すが、インターネットは有名無名を問わず、世界中の人々に自由な発言の機会を与えた。これは凄いことであり、また素晴らしいことであるが、この誰もが世界に向けて意見できるようになったことが、同時に政治家の大衆迎合を加速させ、ヘイトや差別の温床にもなったことは間違いない。

 だからインターネットはダメだと言っては元も子もなく、私たちはまだインターネットの扱い方を模索中なのだ。それがより良い伝達・表現手段になるためには、おそらくまだ50年はかかる。技術、倫理、思想、政治…それらが捻れ捩れ混迷してるのが現在の状況だ。