集団的自衛権というマヤカシ

 安倍政権が実行したがる政策はどれもがデタラメでインチキだが、そのひとつに「集団的自衛権」がある。これが決まると、米国の言いなりのまま、日本の自衛隊が外国で戦争に巻き込まれ、若く尊い命が大勢失うことになる。

 自衛隊の災害時における活躍は多くの国民に支持されるところであり、だから私は自衛隊が災害救助隊になることを願う。とはいえ、現実的に自衛隊は紛れもなく軍隊であり(軍備を否定する憲法9条があるにもかかわらず)、世間の情勢から今すぐ純粋なる災害救助隊に転身できるとは思えない。

 だから100歩譲って(現実を直視するという意味で)、軍隊としての自衛隊という存在を認めるとしても、しかしその軍隊は日本領土のみの専守防衛に徹するべきなのだ。どんな理由があろうと、日本国外へ武器を所持した自衛隊は出るべきでない。

 200歩譲り、集団的自衛権という名前のとおり同盟国が攻撃されるような事態となり自衛隊が出動したとしても、それはあくまでも同盟国内での話であり、米国内における紛争にのみ実施されるべきある。これが集団的自衛権の本来の意味だろう。

 ところが、「世界の警察官」としての米国は自国の軍隊を世界中に配備しているせいで、集団的自衛権が発令されれば自衛隊は米軍とともに世界の至る所で行動するはめになる。自衛隊は米軍と一緒に中近東やアフリカや中南米、アジアやヨーロッパの紛争地帯に出かけなければならなくなる。もし自衛隊が米軍とともに日本や米国以外で戦争をするなら、これは自衛ではなくあきらかに第三国への侵略行為と化す。

 安倍政権が口にする集団的自衛権の本質、それは「集団的侵略権」に他ならず、自衛の名の下に世界中で戦争行為を仕掛ける手段となり、これはとんでもないマヤカシなのである。

 繰り返すが、自衛隊は災害救助隊を目指すべきだ。人殺しの武器ではなく、人を助ける装備を整え、国内だけでなく、外国で大規模な災害が発生したとき、即対応する組織と運営で速やかに救いの手を差し伸べてほしい。そうなれば日本は世界中から賞賛されるし、賞賛されるだけでなく、多くの国々が日本の真似をしたがるだろう。