人間はもう少し賢くなれるはず

 「人間の本質は決して変わらない」とは様々な文献でよく目や耳にする。確かに私もそう思う。人間も生物であり、自ら生まれて来たわけではなく、父と母という他者からこの世に産み落とされた。そして、食物を与えられながら育てられ少しずつ周囲から知識を植え付けられて成長する。人間とは誰でもある時期までまったく受け身の存在だ。

 ある時期までまったく受け身の存在という、言い換えれば他者から洗脳されるのが人間であり、これは大昔から現在まで、そして未来永劫まで人間が存在する限り変わらない。そういう意味から「人間の本質は決して変わらない」。

 確かに「本質は変わらない」が、しかし本質を自覚することで洗脳されてきたことに気付くなら、周囲の呪縛から解放されるかもしれない。呪縛から解放とは、すなわちこれまで他者から着せ替え人形のように飾られていた自分にまとわりつく外装を脱ぎ捨て、自らが素っ裸になるということ。そして素っ裸の自分を認識しながら、他者のお気に入りではなく、これからは自分に合った衣類を自ら選んで身につけるということ。さらに、たとえ自ら着飾っても、素っ裸の自分を決して忘れないということ。

 どうせ「人間は変わらない」のだから、いつまで経っても人間は争い事を止めないし、どこでも人間は喧嘩を繰り返すに違いない。特に、身近な関係になればなるほど仲良くなるより憎んだり怒ったりすることの方が多いかもしれない。家庭内だけでも、夫婦喧嘩や兄弟喧嘩は日常茶飯事。近所付き合いも表向きはニコニコ笑って挨拶しても、裏に回れば悪口の言い放題。隣接する国家同士になるとちっぽけな領土で一触即発の事態にまで発展する。どれもこれも皆あまりに近過ぎるだけでなく、洗脳から脱却できないからだ。

 人間は、これまであまりに多くの戦争を繰り返し、そして多大な犠牲を払って来た。いくら「変わらない」とはいえ、これからも奪い合う(侵略)戦争を人間は繰り返すのだろうか。おそらく無駄な争いや喧嘩は繰り返すのだろう。これは仕方ない。なぜなら「人間の本質は変わらない」のだ。だが、他者からの服を自ら脱ぎ捨てることができるなら、それをさらに多くの人ができるようになるなら、事情は少し違ってくるかもしれない。

 裸になり自らの衣類を選べるなら、同じ裸の人間同士を自覚しつつ互いの個性を認め合える。確かにいつまで経っても近しい間柄では小さなイザコザは絶えないだろう。だがしかし、人間が素っ裸になることで小さなイザコザが国家や地域の大きな紛争にまで拡大しないよう阻止できる。今より人間はもう少し賢くなれるはずだ。