西部劇にもいろいろある

 映画好きな私はジャンルを問わずいろんな作品を観てきた。しかし近年、観たくても観れなくなったのが西部劇。ベトナム戦争を契機にアメリカ先住民に対する認識がガラリと変わり、それまで「インディアンは野蛮」だったのが、じつは全く逆で「白人こそが残酷な侵略者」だと分かったからだ。勧善懲悪を基本に派手に撃ち合い、安易に人殺しを演出する西部劇は時代背景を気にして制作できなくなった。

 「騎兵隊が善、先住民が悪」のような馬鹿げた構図の西部劇はトンデモないが、しかし西部劇にもいろいろある。例えば「シェーン」のような作品は素晴らしいと思うし、マカロニ・ウエスタンも私は好きだ。

 イマジカBSという洋画専門チャンネルで「ワーロック」という西部劇を観た。主演はリチャード・ウィドマークヘンリー・フォンダ、アンソニー・クィン、監督はエドワード・ドミトリク、1959年度制作。ワーロックとは町の名前、そこで繰り広げられる人間模様を通して、時代の流れ、社会の変化を描く。

 ガンマンのヘンリー・フォンダと賭博師アンソニー・クィンは親友でいつもコンビを組む。共に腕が立つが少々荒っぽく無頼でもある。二人は定住することなく、腕を請われ悪を成敗するため各町々に保安官や用心棒として雇われる。そうしてワーロックにもやって来た。

 ワーロックでは暴れ集団マックウオン一味が町を牛耳ろうとしている。リチャード・ウィドマークはマックウオンの仲間だが共に行動するのが嫌で真面目に生きたい。葛藤に苛まれながらリチャード・ウィドマークはやがて保安官補となり、傷を負いながらも町に法と秩序を浸透させようとする。正義のガンマンが悪漢一味を退治するという単純な話とは違う。

 クライマックス、親友だったヘンリー・フォンダとアンソニー・クィンが決闘してクィンがわざと負け、その後、リチャード・ウィドマークヘンリー・フォンダが対決しようとしたとき、フォンダは自らの拳銃を路上に捨て町を去る。このラストシーンは象徴的で、これまで悪を倒すのは腕の立つ用心棒や早撃ちガンマンで拳銃には拳銃で対抗してきたが、そんな時代は終わった、これからは法や秩序が人々や町を守るのだ、と訴えかける。

 1950年代から60年代は映画の黄金時代で西部劇もたくさん作られたが、しかし単なるドンパチを描かない「ワーロック」のような作品があったことを知ると、商売至上主義とはいえハリウッドは懐が深いと感心する。