教育の基本

 かつて先生という職業が羨ましかった。長期間の夏休みだけでなく、春休みや冬休みも学生と同じという、ただそれだけの理由からだが…。しかしその後、学校がどんなに忙しいところか、ほとんど休みがないことを知ると、先生へのイメージは180°変わった。

 もとより、どんなに頑張っても先生になれるはずのない出来の悪い自分にとって、先生という職業は淡い希望的観測に過ぎなかったが、かりにもし実力を備えたとしても、学校の先生にだけは今現在なりたくないと思う。それだけ学校の先生の実態は過酷らしい。

 いつの時代でも、生徒ひとり一人への気配りにこそ先生の実力が発揮されるべきだが、現在はどんなだろう。先生になった途端、競争社会に翻弄され点数至上主義に埋没したり、また不祥事を起こさないよう心配ばかりしなければならない気がして、直接の現場は知らないが、なんとなく想像がつく。

 学校には「できる子」と「できない子」とがかならず共存している。できる子はどうしても注目されるから、できる子には教育熱心になるが、一方、できない子はいつの間にか隅に追いやられ無視されがちとなる。本当の教育は、目立たない子に光りを当て、生徒ひとり一人の未来に希望の灯を点してあげることだが、忙しすぎる先生にそんな余裕など持てるはずがない。

 昔からできない子に光りは当たらなかったし、今はもっと極端かもしれない。1%のエリートのための教育が邁進し、出来の悪い99%が切り捨てられる状況が益々加速しているようだ。

 急に思い出した。「100点取る人大嫌い、30点以下の人許せない、65点の人が好き…」とかいう詞の歌があった(正確な歌詞は忘れた)。65点前後はじつにバランスが良く、先生もひと安心できる領域だろう。

 100点ばかり目指す教育は息切れするし、その結果30点以下が増加するようでは本末転倒。65点前後の生徒を増やし、65点でもいいという教育をもっと探るべきじゃないかな。