カッコいい生き方

 アメリカン・ニューシネマに『明日に向かって撃て(1969度制作/監督ジョージ・ロイ・ヒル/主演ポール・ニューマンロバート・レッドフォード/米国映画)』という傑作西部劇がある。この作品で、これまでほとんど無名だったロバート・レッドフォードが一躍注目されることになった。

 実在した二人のならず者をニューマン(ブッチ・キャシディ)とレッドフォード(サンダンス・キッド)が演じるが、逃亡の途中で深い谷底の川面に飛び込まざるを得なくなったとき、なかなか決心のつかないレットフォードにニューマンが「どうした?」と促すと、レッドフォードは一言「泳げない!」と口にする。この「泳げない!」という一言が、その後レッドフォードを世界的な俳優に導くことになったと私は思っている。つまり、それほどこの「泳げない!」というセリフがカッコ良かったのである。

 社会には厳しい基準が林立し、人は現実を生き抜くため様々な資格や免許を取りたがる。実際問題、医者や弁護士や教師…になるには資格が必要だし、車も免許がなければ運転してはいけない。資格や免許はその人を信頼できるかどうかの証となり、だから人はいろんな資格や免許を取得することに熱心になる。資格や免許のあるなしは、すなわち食えるか食えないかの分岐ともなるのだから、誰もがそれらの取得に必死になるのは当然だろう。

 確かに資格や免許は必要だと思う。しかし逆に考えてみる。資格や免許に頼らず、それらから無縁の人生を想像してみる。まったく何も持たずに、それで堂々と生きることができるとしたら、これほど見事な人生があるだろうか。

 泳げない、踊れない、料理できない、車の運転できない、彼女(彼氏)いない、金がない、住居もない、……ない、……ない、……ない、……こうした人間は稀だろう。どんな人も何かしらの特技を持っているし、いずれかならず持てるようになる。だがより重要なのは、特技を誇ることより、特技なんかなくても構わないという開き直りだ。

 「できる」ことを自慢するなんて、何となくイヤラしい。「できる」なんてあまりに平凡過ぎないか。素直に「できない」と表明した方が共感を呼ぶ。資格や免許を求めつづける人生なんて窮屈になるだけ、何も持とうとしない人生こそ余裕じゃないか。できるよりできない方が本当はカッコいいのだ、泳げなかったサンダンス・キッドのようにーー。