家事労働の大切さ

 一年の半分が過ぎてしまった。あまりの早さに、唖然、呆然。この半年、自分はいったい何をしていたのだろう。実績らしきものをほとんど残していないことに気づき、ただ時間を無駄遣いしてきたのではないかと空しさを感じる。

 近くの河川敷を歩きながら子供の頃を思い出す。ここは絶好の遊び場所で、魚釣りや昆虫採集、鬼ごっこや隠れんボ、夏は水遊び、冬はスキー、とにかく遊び回っていた。時間はタップリあった。

 今現在、食べて寝て、用を足してフロに入って…そんなあたり前のことを毎日繰り返すだけ。何かを成し遂げたという充実感に乏しい。自分の時間が分散して集中できないからだが、その理由として家事労働に追われているからかもしれない。

 炊事・洗濯・掃除を中心とした家事労働は、毎日かならずこなさなければならない仕事であり、好き嫌いの問題ではなく、それは生活の基盤を成すもの。家事労働を疎かにすると生活が乱れに乱れる。庭の手入れ、植木の水まき、布団シーツの取り替え、ゴミ出し…毎日するものでなくても細々とした家事労働はいくらでもあるので切りがない。スーパーや銀行や郵便局へも出かけなければならない。

 家事労働がいかに大変であるか、身に染みる今日この頃。であればこそ、一般論として家事労働の負担を特定の個人に押し付けるべきではなく、分担させなければ。家事労働を他人に任せっきりにして自分が好きな事に夢中になれるとしたら、こんな無責任で自分勝手な生き方はない。

 充実した人生を送るためには、仕事や趣味に生きがいを感じつつ、家事労働を上手にこなし、家事労働そのものに楽しみを見いだすこと。

 子供の頃、遊んでばかりいられたのも母親がすべての家事労働に勤しんでくれたから。母子家庭で育った私が今は要介護の母親の面倒を見ている。外で働いて家事もこなした母親に自由時間などほとんどなかっただろう。母親の手伝いをしなかった昔の自分を思い出し、申し訳ない気持ちで一杯になる。