外国人への意識

 インターネットの普及で国際的感覚を身に付け、意識において国境が取り払われるべき時代にもかかわらず、なぜか自国ばかり優先させようと他国を排斥したがる、そんな逆行する動きになるのはなぜか。何十年も前の、ふとした事を思い出す。

 会社務めをしていた、もう25年ほど前のこと。関連会社で組織する労働組合の委員会に出席したとき、中心議題の話し合いも終了、雑談に入って外国人のことが話題となった。私が、自分の暮らす東京都豊島区がアジア人を中心に外国人比率が最も高い区である話をしたところ、委員長はすかさず「それは困ったなぁ」と口を挟んだのである。

 当時「豊島区は外国人比率が最も高い」という事実を私は述べただけで、そこには善し悪しの判断などなく、いやむしろ、だからこそ外国人との交流は必要との意味合いを込めての発言のつもりだったが、委員長にしてみれば東京に多くの外国人が暮らす状況を思い浮かべ即難色を示したわけだ。

 その委員長にとっては、観光客のようにしばらく滞在後に帰国するならいいが、大勢の外国人が日本に長く定住するようでは困るのだ。25年前の「困ったなぁ」と口にした委員長のその後の人生はどうなったのだろう。「それはいい、異文化と交流して見識を広めるべき」と、なぜ口にできなかったのか。

 身の周りに外国人が大勢たむろする環境になることを嫌う習性は、日本人にとって現在もほとんど変わっていない気がする。欧米人なら許せても、中国や韓国、東南アジアの人々、ましてやアラブやアフリカの人々への理解はまだまだ乏しく偏見に満ちている。