情けない風潮

 従軍慰安婦記事を書いた朝日新聞元記者が非常勤講師を務める北海道の北星学園大学に、元記者を辞めさせなければ「爆破する」とか「生徒を殺す」とかの脅迫状が届き、学園側は脅しに屈して元記者を次年度から雇用契約しないことに決めたという。

 似たような事件は過去にいくつもあり、最近は特に目立つ。中でも映画「靖国(2008年)」が右翼の脅しを受けて上映中止に追い込まれた事件は記憶に新しい。

 北星学園大学や映画館は「学生の安全を守るため」とか「お客さまに迷惑がかかる」との言い訳をして、いかにも他者を気遣うよう振る舞うのだが実態は自己保身そのもの、他者への気遣などまったくないことが分かる。

 それにしても、ちょっとした脅迫にうろたえる社会とはいったい何だろう? 精神構造があまりに脆弱過ぎやしないか。

 少し考えれば分かることだが、例えば「今からお宅に泥棒に行く」と電話を掛けて、実際に泥棒に来る奴などいない。本当の泥棒は前もって「泥棒する」など宣言するわけがない。だから「殺す」とか「爆破する」とかの物騒な言葉を投げかける見ず知らずの輩は口先だけ、決して実行に移したりはしない。

 勉強しない奴に限って「勉強する」と口にしたがるのと似ている。実際に勉強している者は自ら「勉強している」とは言わないものである。なぜなら、勉強すればするほど、自分の無知を自覚し、まだまだ自分の勉強は足りないと自らに言い聞かせながら、さらに勉強に励むだろうから。要は、自分の勉強など勉強しているうちに入らないという謙虚な気持ちになるから「勉強する」とは口にしないのである。

 以上のように、表に出る言葉と実際の行動とは裏腹なのだ。まさに「弱い犬ほどよく吠える」の諺が当てはまる。

 ちっぽけな脅迫に屈することは、逆に社会全体に大きな迷惑をかけることになる。オドオドする必要はまったくない。威嚇や脅迫を乗り越え、物事を普段通り遂行しよう。