本当の成功とは?

 野球やサッカーで優勝したり、オリンピックで金メダルを獲得したり、様々な競技で記録を更新してトップに登り詰めたり、そんな栄光に包まれた彼ら彼女たちは子供たちに向かって「夢を抱くこと」の必要性、そうして自分を信じるなら「夢はかならず実現する」と訴えかける。

 同じことは映画の世界などでも散見する。大ヒット作品を連発してきた監督や、世界中で愛されるヒーローやヒロインを演じた俳優たちが、人々から失くしてならないものは「夢」であることを語る。

 スポーツ選手や映画監督や俳優や、さらにベンチャーから大企業へと成長させた経営者たちは成功の具現者だ。成功者たちの言葉にはそれなりの裏付けがあり、説得力を秘めてはいる。とはいえ、あまりに「夢」を連発されると白々しくなるのも事実。白々しさを感じるのは、本当の夢や成功とは何か? という疑問が常に付いて回るからだ。

 スポーツや芸術・芸能、さらに企業の分野で頂点を極めることは並大抵ではないし、相当な価値はあるだろう。だが、もしそれらが従来からの支配構造の中における、単なる競争での一番に過ぎないなら、そんなに賞賛されることだとは思えない。支配構造を温存して一番になろうと、そんな一番は操られた一番に過ぎず、それほど価値があるだろうか。そもそも、一番になれるのは一握りで、大多数は敗北者になるのだ。

 アメリカ合州国の属国で、何でもアメリカの言いなりの日本は大衆文化においてアメリカン・ドリーム的なものに見事に洗脳されてきた。支配や差別の仕組みに目をつむり、競争社会のなかで生き延びること、這い上がること、成り上がることこそが重要——そんな価値観の中で教育され、そして今もほとんど変わらない。

 体制内で、何回優勝しても、いくら記録を作っても、金メダルを取っても、どんなに有名になっても、どれだけ財力を貯めても……それらはむしろ小さい。肝心の外枠をそのままに、いくら内側をいじくり回そうと、どれほど重要な意味があるというのだ。

 社会構造という外枠そのものを変えることこそがより大きな意味を持つ。その第一歩が意識の革命なら、それこそ私たちの誰もが本当の成功者になれる可能性がある。