あいまいな領域

 車のハンドルには遊びの部分がある。車を扱う人なら誰でも知っているが、ハンドルを右や左に切るとき遊びの部分があればこそ安定した運転ができるというもの。また、交差点では信号機が赤・青(緑)・黄の点灯を繰り返す。しかし注意して見ると、どの信号機も赤を同時点灯している僅かな時間帯があり、そのときは人も車も一瞬静止した状態になる。じつは、この「遊び」や「わずかな時間帯」のおかげで多くの交通事故を防いでいることが分かる。

 人間関係を好きか嫌いかだけで判断することなどできない。好きでもなければ嫌いでもない微妙な感情が人と人との間には漂う。さらに、男性には女性的な要素があり、女性にも男性的な部分があり、異性愛もあれば同性愛もある。生物学から見るだけでも性は多様で、まして社会学から捉えようとすれば性はもっと複雑化する。

 白か黒か、なんでもハッキリさせようとすると、なんとも味気ない殺伐とした風景ばかり見せられるだろう。濃淡の違う灰色こそが世界を豊饒にさせる領域である。絵具の三原色も、光の三原色も、それらが混ざり重なり合うからこそ無限の色彩が生まれ、より一層美しくなる。

 線を引いて、こちらは私のもの、あちらが貴方のもの、と区別してお互いが相手の足を一歩も踏み込めないようにすれば、私と貴方はいつまでも緊張がつづき健康に悪い。線は引いてもいいが、細い線はダメ。なるべく太い線にしたい。そして時間とともに、線をどんどん太くする。うんと太くなった線の中を、互いがいつでも出入りして自由に動き回れるようにする。

 線はさらに太くなる。あまりに太くなった線は、もはや線とは言えず、それは面である。面の上を無数の点が移動する。点が移動すると新たな線が幾つもできる。それらの線は生まれては消え、線は常に変化して、やがて線はアートになる。