人物の評価、作品の評価

 女性で100歳を超えた柴田トヨさんの詩集「くじけないで」が100万部以上のベストセラーになり話題となった。詩集はともかく私には柴田トヨさんが100歳以上を生きていらっしゃること自体、ただそれだけで尊敬に値する。平均年齢が上昇したとはいえ100歳以上を元気に生きるのは大変なことだ。

 男性では聖路加国際病院理事長の日野原重明さんも100歳を超えて今もなお現役で活躍されている。日野原さんも柴田さんも100歳以上を生きる元気なお年寄りの代表のような存在で、よほど体力と知力に恵まれているのだろう。人生を十二分に満喫されているようで羨ましい限りである。

 ところで詩集「くじけないで」について。私は購入したわけではないが本屋で立ち読みさせてもらった。正直、この詩集がベストセラーになったのは作者である柴田トヨさんの年齢が100歳前後であったからで、もしご本人が60歳や70歳程度の年齢ならここまで売れることはなかったろう。買いもせず、しかも全ての作品に目を通したわけではないのに偉そうなことは言えない。ただ、いくつかの詩編を読む限り、あえて言わせていただくなら特に優れているとは思わない。繰り返すが「くじけないで」が有名になったのは作者の柴田トヨさんが100歳前後の女性だったからだ。

 作品には当然作者が存在し、作品と作者とは切っても切り離すことのできない関係にあるが、しかし作品は出来上がった時点で作者の元を離れると私は思う。だから、作品の評価と作者自身の評価とは全く別であり、極論すれば、どんなに極悪非道であろうと、そんな人物が平和を訴え、自由と平等を描いても一向に構わないのである。出来上がったものはあくまで独立した作品として評価すべきで、後で人物評価を加えて作品を歪めてはいけない。

 マスコミが発達したせいか、近年は様々な分野で作品よりも作者の方にスポットライトを当てているような気がする。作者ばかりが有名になり、いったいあの作者は何を創ったのか? と作者の死とともに全てが忘れ去られてしまいかねない。作者など忘れてもいいが、優れた作品は残ってほしい。常に問題提起を促し人間そのものを探求するような作品なら、それは謎めいて神秘的となり、時代を超えて作品そのものが輝きつづけるはずだ。

 とはいえ、作者ばかりが目立つ時代では凡庸な作品ばかりが量産される。でも、ひょっとして、日の当らないどこか社会の片隅で、無名の人物がこつこつと傑作を創っているかも・・・。