自分史なんか作りたくない

 かなり以前から「自分史」を作るのが流行ってるらしい。自分に関することを後世に残したいと誰もが心の片隅に抱いている。だからいろんな手段を用いて自分史作りに励む人は多い。

 人は大きな仕事をした科学者や芸術家や実業家のように、自分の存在が生きてるときだけでなく死んでからも世間から認められたいらしい。有名でなくとも、仕事だけでなく人生そのものを形として残し、せめて家族や周囲の人々に自分の存在を示し、少しでも役立ちたいという気持ちになるのか。

 ところで最近「ライフログ」という言葉を初めて知った。なんでも自分の生活の隅々までデジタルデータに残す技術らしく、いつ、どこで、何をしたか、それらを事細かに、言葉だけでなく音声や映像にまで記録に残すことができるという。いかにもデジタル時代に相応しく、今この瞬間の自分自身が逐次記録されるというのだから驚く。

 ライフログを利用する人たちは自らの意思で自分の生活形態を逐一記録に残しており、究極の自分史を作成するために生きているかのようだ。しかしデジタル上で自分自身を完全にさらけ出すことはプライバシーも秘密もないに等しく、本人は自覚しているにせよ様々な問題を孕んでいることは間違いない。

 昔からの手書きの日記や、パソコンのブログなども一種の自分史かもしれないが、ただ、手書きの日記は他人に見せるよりも自分のためだけの要素が強かったし、ブログも自分の意見や考えが中心で本名は明かしても生活をさらけ出すことはない。もちろん日記やブログにもいろいろあるから中身はなんでもいいが、自分の生活を他人に監視してもらう場ではないはずだ。

 私は、芸術的に表現されたものが大好きだし、さらに科学や哲学などの分野にも興味はあるが、しかし、身も知らない人々の衣食住を始めとする毎日の事細かな生活様式に興味はない。庶民の一人ひとりが、いつ、どこで、何をしようと一向に構わない。だからこそ、私は他人から監視されたくないし自分をさらけ出すつもりもない。

 デジタルがさらに進化することで、権力側は民衆を監視する必要はなくなり、むしろ人々は自己をアピールするため自らを監視の対象に差し出したくなるのだろうか。安易に自分史など作らない方がいいと私は思うが…。