大江健三郎賞とは何だ

 「蹴りたい背中」で19歳ながら芥川賞を受賞して話題となった小説家の綿矢りさが、今度は「かわいそうだね?」で大江健三郎賞を受賞したらしい。これを知ったとき、ところで大江健三郎賞って何? 大江健三郎って小説家の? 大江健三郎は死んだ? 等々、余計な連想がつぎつぎと浮かんだ。

 大江健三郎賞大江健三郎とは、もちろん今も現役で活躍中の、そして反核・反原発で第一線に立つ、あの大江健三郎のことだ。氏の作家生活50年と講談社の創立100年に合わせ2006年に創設されたらしい。対象作品は大江健三郎自らが選考し、褒美として外国語の翻訳と世界への刊行とのこと。じつはこんな賞があるとは全然知らなかった。

 そもそも人名の付いた○○賞という類は本人が亡くなってから創設されるものという先入観があったので、大江健三郎賞と聞いてピンとこなかったのだ。それにしても大江健三郎賞とはねぇ。正直ちょっと違和感がある。

 「死者の奢り」「飼育」「セヴンティーン」など大江氏の初期の作品を若い頃に読んだが、読みずらく面白くなかったので内容は忘れてしまった。私にとって大江氏は小説家よりも反核・反原発の活動家としての印象の方が強い。ただ、米ソ対立が激化した1980年代『核戦争の危機を訴える文学者の声明』で、「ただちに行動を」と他人に呼びかけながら本人が具体的行動を示さないためジャーナリストの本多勝一から批判された。本多氏の批判には説得力があり大江氏は十分に反論できなかったようだ。

 3・11の大震災以後における反原発運動でも前面に立っているようで、大江氏の行動はりっぱだと思う反面、しかしちょっと気になるところがある。ノーベル賞作家としての自負からなのか、この人には権威臭が付きまとう。その典型が自らの名前を冠した大江健三郎賞ではないか。

 どうもこの人には、ノーベル賞のような世界的権威は認めるが、権威のないものには関心がなさそうなのだ。反原発運動も前面に立つことで自分の権威を高めるための行動ではないか、と余計な詮索をしたくなる。反核・反原発運動が権威的になってはマズイだろう。運動の主役はあくまで無名の庶民たちで、大江健三郎氏などは目立たない方がいい。

 繰り返すが、それにしても大江健三郎賞とはねぇ。こんな賞いらないんじゃないですか大江さん。