大相撲大阪場所が開催中だ。私は相撲が好きだし、相撲に限らず野球もサッカーも陸上競技もあらゆるスポーツに関心がある。ただしそれは、土俵の内側であり、フィールドやグラウンドの内側であり、あくまでも真剣勝負が繰り広げられる競技に対してのみだ。逆に、競技を取り巻く周囲からはいつもドロドロした嫌な世界を見せつけられてうんざりさせられる。試合の外側で蠢く怪しげな世界については常に厳しい眼差しで見つめたい。
ところで、いろんな形容で表記される20世紀だが紛れもなく「スポーツの世紀」であったことも確かだろう。様々な文化が派生し花開いた20世紀はオリンピックやサッカーのワールドカップに象徴されるようにスポーツが隆盛した。21世紀に入り各競技が益々発展してゆくことが予想される。世界中の人々にとってスポーツが身近になることはとても良いことに違いない。
しかし、だからこそ、スポーツ自体とスポーツを成立させる環境とを冷静に注視すればするほどギャップが浮かび上がる。
スポーツの本質は公正なルールを基に運営されることにあり、裏を返せば現実の社会に不公平と格差が蔓延しているからこそ、人々はスポーツの対等でフェアプレー精神に拠り所を求め少しでも盛り上がろうとする。
もし、民主主義が現実の世界に浸透し、それぞれの国や地域の力関係にそれほどの差がなく、人々が気軽に交流できるような状況ならば、さらに、人種や宗教や出生で差別されることがなく、一人ひとりの人間がもっと自由でいられたなら、スポーツはこれほど隆盛することはなかったかもしれない。
スポーツが発展するということは、ある意味、スポーツ以外の世界では公正なルールがなかなか確立されない証なのかもしれず、実際は、駆け引きで損得勘定に明け暮れる政治や経済の隠れ蓑としてスポーツは利用されているのかもしれない。
21世紀から22世紀、そして23世紀へと、これから先まだ200年〜300年位はスポーツは盛んな状態を維持できるだろう。ただ、その後は廃れていくような気もする。どうなるか分からないが、その時、スポーツと現実社会との関係はどうなっているか興味深い。