宇宙への進出

 米ソが宇宙開発に凌ぎを削った1960年代、10年も満たないうちに人類は初めて宇宙飛行に成功し、さらに人類は初めて月に足跡を記した。68年には「2001年宇宙の旅」という映画が上映され、宇宙開発がこのまま進めば21世紀の初頭には映画で描かれていたような基地が月に建設されているかもしれないと本当に思ったりした。

 だが、実際はそんなに甘くはなかった。宇宙開発の現実が非常に厳しいことをその後の人類は知ることになる。無重量状態の宇宙空間で人間が生きることの難しさもあるが、地球上での様々な問題が一向に解決されることなくより複雑化したことで、人類の目が宇宙よりも地球上に注がれるようになったことが宇宙開発を遅らせた大きな要因である。

 地球上の問題を無視して地球の外にばかり目を向けることは許されないことであり、まずは身近な問題を地道に着実に解決していかなければならないのは当然である。ただ、問題は常に発生するわけで、地球の問題にばかり拘るなら宇宙に飛び出すことは永久にできなくなる。

 なぜ人類は宇宙を目指すかといえば、未知の領域を探ろうとする人間が本来抱きつづける願望であり、これを止めるわけにはいかない。さらにマクロの視点で人間や地球を見つめなおすためには非常に重要だからだ。人類がもし地球に留まることしかできないなら、人類は視野の狭い無知な一生物として進化を終えることになる。

 人類の歴史とは価値観の変遷の歴史である。人間が中心で、人間が一番偉いと自惚れていたのが、人間なんてたいしたことないちっぽけな存在に過ぎないことを歴史は証明してきた。にもかかわらず人間は未だ自惚れが強く、国家や民族や宗教に拘り人間同士で殺戮を繰り返す。

 宇宙飛行士と呼ばれる一部の選ばれたエリートだけでなく、私のような一般庶民の大勢が宇宙から地球を実際に眺められるようになったらどうなるか。これまでの国家や民族や宗教に対する価値観はかなり変わるに違いない。

 まだまだ遠い先の話だろう。いろんな困難が待ち受けているだろう。まずは月だ。そして火星になる。宇宙の規模からいえば月や火星なんてあまりに近い存在だ。人間や地球は小さな存在で、宇宙はあまりにも広く大きいが、ミクロとマクロとは見事に直結している。