庶民の生きる術

 圧倒的強い立場の体制・権力側は庶民をコントロールする術を心得ている。庶民を支配し操るには強制や弾圧だけでは反発を招きかねないことを権力側は歴史から学んでおり、だからある程度の自由を庶民に保障しながら、いかにも皆さんの味方のように振る舞うのである。もちろん庶民の自由には限度があり、狭い枠内における自由に過ぎず、もしその枠を越えようとすれば徹底的に貶める。

 それにしても大多数の庶民はあまりに正直で従順だ。嘘をついてはいけない、真っすぐな道を歩こう、真面目に振る舞おう・・・以上のような教えや躾を子供の頃から叩き込まれた。親から、教師から、その他大勢の大人から子供たちはそんな高貴?な道徳を教え込まれた。そして、強い立場の者が弱い立場の者に対して諭す典型的なセリフが「人に迷惑をかけるな」である。これはすなわち「庶民は権力に逆らってはいけません」に他ならない。
 
 しかし、庶民がいつまでも権力の言いなりになるのは真っ平ゴメン。与えられた自由は時間の経過と共にかならず狭められてゆく。月並みな言い方だが、自由は与えられるものではなく自ら開拓するものだから、収容所の壁を突破しようと試みなければ歴史における社会発展の意味はない。

 それでは弱い立場の庶民が権力の言いなりにならず、自らを生きるにはどうすればいいのか。それには工夫を凝らして賢くなるしかない。すなわち「嘘をついて」「曲がった道を歩き」「不真面目になる」ことだ。もちろんこれらは自分たちと同じ仲間や、さらに弱い立場の人たちに向かってするのではなく、あくまでも威張っている体制・権力の側に対しての行為だ。

 「思想調査」のような用紙が届いたら(思想調査そのものが大問題で人権に反している)何もバカ正直に記入する必要などない。そんなものには平気で嘘を書いてかまわない。言行一致が美徳であるかのごとく尊ばれるが、これまた権力側の吹聴した庶民操作の文句に過ぎず、私たち庶民は権力に対して言行不一致でいい。口では従順を装いながら、行動は反抗的に・・・とはいえ、たとえば宗教にこだわりがあれば言行不一致は難しいかもしれない。多くの人々が呪縛されている。

 いつの時代でも嘘をついてきたのは常に権力の側だ。弱い立場の庶民が生きてゆくのは本当に大変だな。私たちは、もっとしたたかに生きる術を身につけたい。