橋下徹氏の船中八策

 何かと話題の多い橋下徹大阪市長である。ところで、彼の率いる大阪維新の会が次期衆院選の公約として策定した「維新版・船中八策」が公表された。

 これを見て私は驚いたが、同時に腹の底から笑ってしまった。一々細かいことは言わないが中身を見ると「道州制」や「年金掛け捨て」や「参議院廃止」と共に、消費増税、TPP参加、日米同盟維持拡大、憲法改正・・・要するにこれは、従来の自民党と現民主党の悪いところを大部分ソックリ引き継いだようなものではないか。

 そもそも「維新」とか「船中八策」のような言葉を使いたがること自体が古臭く、橋下氏から感じるのは日本だけにしか眼中にないスケールの中途半端さだ。個から世界への視野だけでなく、逆に全体から単体を見つめられる柔軟でスケールの大きな真の改革イメージを彼からは感じない。この人には、日本の中に世界があるようで、世界の中に日本が含まれるという当たり前の現実が見えないらしい。

 なによりも「船中八策」で一番の問題は、エネルギー政策への言及が全く無いこと。確か、橋下さんは口では「脱原発」を唱えていたはずだが? 原発をどうするのか? 原発に対しての姿勢をハッキリと公約に掲げられないとしたら、それこそ現実から逃げているだけだ。

 実際、「みんなで決めよう・原発国民投票」運動において大阪では請求に必要な数を大幅に超える5万5428人分の有効署名を集めることができたにもかかわらず、橋下市長は「金がかかる」という理由で住民投票には消極的らしい。どうも怪しい? この人は本当に脱原発なのか? 脱原発は本当だとしても、じつは核兵器は大好きなのかもしれない。

 政治家に限らず日本人の多数が、戦国時代の武将や、幕末から明治にかけて目立った人物にばかり関心を抱くのは相変わらずである。過去に眼を向けることは大切だが、歴史を築いたのは表側の人たちだけでないことを忘れては困る。

 その人が信頼できるかどうかは、過去から現在、そして未来へと、少なくとも光が照射しない影の世界を想像できるかどうかだ。存在するものを根底から支えているのは一体何か? 社会的な意味だけでなく、個人としての人間的な意味において、もっと掘り下げたい。

 大阪職員に「思想調査」したり、「独裁」を平気で口にするなんて、小説「1984年」に登場する支配者ビッグブラザーの相似形が橋下徹氏の正体だ。